- 出演者
- 池田伸子 伊藤海彦 高野洋 志賀隼哉 斎藤希実子
オープニングの挨拶をした。
主な内容を紹介。戦後80年孫娘が語る終戦時の首相など。
宮崎県の方からのコメント紹介。宮崎は台風12号が接近中だが、今のところ穏やかだという。今のうちに自宅周りの片づけをしているという。募集テーマは「どっと疲れた/疲れが吹っ飛んだ瞬間」。
港区にある日本自動車連盟から中継。8月のこの時期にレスキューが最も多いという。中でもタイヤのパンクについて伝える。タイヤのパンクや破裂の要因は、タイヤの傷や劣化、空気圧の不足だという。空気圧が減ってる状況でどうなるのかという実験を行った。空気圧が半分のものは速度を上げると温度が上がり最終的に破裂する。空気圧の見分け方は、一般的には運転席のドアを開けたところに適正な空気圧が書いてある。私たちができることは、タイヤの傷や劣化を日頃から確認。夏場のドライブで気をつけることは、乗り込む際に火傷などを気をつけてほしいという。
- キーワード
- 日本自動車連盟 東京支部港区(東京)
元沖縄県知事の大田昌秀は沖縄に集中する米軍基地の縮小に取り組んだ。大田さんは1925年、久米島で生まれた。16歳の時に太平洋戦争が始まる。大田さんは鉄血勤皇隊に編入される。大田さんの平和を願う情熱の原点は沖縄での凄惨な戦闘の記憶だ。戦争が終わると大田さんは琉球大学で研究者となり、戦争について考えた。
1990年、大田さんは沖縄県知事に立候補し、当選する。1995年、米兵による少女暴行事件が起きる。事件に抗議する県民集会には8万5000人が集まった。沖縄では軍用地の強制使用を巡る問題も起きていた。1995年、平和の礎が完成、記念碑には国籍・軍人・民間人の区別なく沖縄戦で犠牲になった人すべての名前が記された。大田さんは二度と沖縄を戦場にしてはいけないと平和を求めた人生だった。
随意契約による備蓄米の販売の期限が今月末までに迫っていたが、農林水産省は昨日9月以降も販売を認めると発表した。販売延長の理由は2つあり、1つ目は国からの引き渡しの遅れ。備蓄米は倉庫で保管されているが、品質確認の検査などに時間がかかり出荷自体に遅れが生じている。農林水産省によると契約された32万トンのうち、既にキャンセルされた4万トンを除き、全体の3割余に当たる10万トンが未出荷の状態。もう一つの理由が銘柄米の価格の推移。5キロあたりのスーパーでの銘柄米の価格が下がっておらず、秋に出回る新米の価格への影響が限定的との判断に至ったと見られる。大手スーパーなどによると以前のような行列ができるほどではないが、店頭に出せば順調に売れる状況は続いているという。生産者の中には新米価格の低下への懸念の声があるのは事実だが、今年の新米は既に去年を大きく上回る価格で販売されている。スーパーでのコメの平均販売価格は備蓄米効果で5キロあたり3000円台に下がっているが、備蓄米の販売を終了すると4000円台に逆戻りする可能性があり、今回の判断は現実的との見方が関係者の間では多い。今後について流通経済研究所・折笠氏は「新米の高値が続いても価格そのものに政府が介入するのは難しい。コメを購入できる商品券を配布するなど買いたくても買えない人への支援に切り替わると思う」などと指摘した。
今月15日で終戦80年を迎えた日本。終戦当時の内閣総理大臣が鈴木貫太郎。1945年4月、77歳で総理大臣に就任。在任期間は130日あまりでありながら日本を終戦に導いた。都内に暮らす孫娘の鈴木道子さん。道子さんが4歳の時に二・二六事件という軍事クーデターが起こる。当時鈴木貫太郎も軍人に襲われた。鈴木は重傷を負いながらも一命をとりとめた。事件後は侍従長を退任し、その後昭和天皇から総理大臣になってほしいと説得される。1945年に総理大臣に就任しつつも、家族の前ではバドリオ首相になると漏らしていた。道子さんが東京に行くと祖父に話したとき「若い人は安全な場所で暮らしなさい。次の時代を築いていってもらわないといけない。」と諭され、祖父は戦争をやめようとしているとわかったと話した。
1945年8月14日、昭和天皇隣接のもと開かれた会議。この会議でポツダム宣言が受諾された。8月15日の早朝、徹底抗戦を訴える軍人により自宅が焼き討ちになったが、鈴木は間一髪で逃げ出すことができた。鈴木内閣は終戦の2日後に総辞職、戦後は新憲法策定に携わった。鈴木は千葉県野田市で過ごし、80歳で亡くなった。道子さんはラジオ番組でプロデューサーを務めたあと、アメリカに渡り帰国後音楽評論家として活躍。道子さんは鈴木貫太郎が意識不明の時にぱっと起きたときに話した「永遠の平和、永遠の平和」と話したことが印象的だったと話す。道子さんは世界の戦争情勢を祖父が見たときに呆れてしまうのではと話した。さらに道子さんは戦争に正義はなく、自国だけ良ければ戦争に終わりはないと話した。
著名人が見たい番組を特集。今回はえなりかずきさんが最後の弾丸をリクエスト。太平洋戦争末期のボルネオで生き残りをかけて戦う兵士の物語。最後の弾丸では、オーストラリア軍による掃討作戦が行われていた。そして狙撃兵の山村により、相手の兵士はスタンレーのみになった。翌日山村は降伏宣言の紙を見たが、スタンレーを打とうとする。しかし山村は近くにいた少女をたすけるため銃弾を木の実にめがけて打った。
その後相手の兵は山村に対して降伏を迫るが、山村は敬礼をしたあと自身が持っていたナイフで首を切った。1995年ボルネオ戦争50年の集いでは、山村の家族の写真が残されていた。写真を持っていたスタンレーが隣にいた男性の首の傷に気づき、山村との再会を果たす。えなりさんは昔戦争していた国と合作でやるのは意味があり、いつかこういう作品に携わってみたいと話した。
本日は高田馬場から中継。本日のミッションは殺陣が学べる道場でいい感じに斬られる演技に挑戦。早速殺陣教室に入った。この教室では誰でも殺陣を学ぶことができる。殺陣教室に10年学んでいる女性は昔別のところで殺陣を学んでいたが、それをきっかけにこの教室で稽古をするようになった。殺陣師の井上謙一郎さんは昔は時代劇の主役の人にも殺陣を教えていた。
本日のミッションを達成するため早速稽古に入る。剣の持ち方を教わり実践した。志賀さんは井上さんの斬りかかる時の顔が迫力があり、本当に斬られたかのようだったと話した。斬られるコツとしては絡みを意識することがコツだ話した。斬られ役は午後5時台でまた披露する。
投稿を紹介、福井県のあのころ懐かしいさんは、昔1時間半かけて自転車で通学をしていた。彼女の笑顔をみる度ツアKレがふっとび、現在の奥さんという投稿。