2011年3月11日、東日本大震災が発生。廣橋さんは被災地で救急医療を行うDMATの一員として福島県に派遣される。当初の任務は、津波や地震による負傷者の治療。原発から60km離れた二本松市の施設に向かう。ところが、原発20km圏内に避難指示が出され逃れてきた住民が放射性物質で汚染されていないか検査するよう求められた。基準を超える汚染が確認された場合、体を洗い衣服を着替えれば移動できることになっていた。建物の中に入ると沢山の高齢の患者が硬い床に寝かされている光景を目にした。よく見ると死戦期呼吸をしている人がいたという。8人ぐらいが死にそうな感じだったという。この人々は原発に近い病院から避難してきた入院患者だった。体が不自由なため除染を受けることができず、ホールに隔離されていた。十分な医療を受けられず病状が悪化したり低体温症に陥っていたと見られる。DMATは原子力災害に対する訓練を受けていないため、対応しないのが原則だった。しかし廣橋さんは異を唱えた。8人の患者に救命措置を行い、受け入れてくれる病院を見つけ出した。しかしその後数名が命を落としたという。教訓を元に、国は原子力災害時の医療体制を抜本的に見直した。
