当時600人以上の議員の中で、女性はわずか25人ほど。初当選から10年。保守党内で着実に経験を積み、1970年に教育大臣として初入閣。無料ミルクの廃止で国民からミルク泥棒と罵られながらも、老朽化した小学校の建て替えや無料保育園の増設など大胆な改革を行った。そして、1979年、ついにイギリス初の女性首相となったサッチャー。まず取り組んだのは経済の立て直し。当時のイギリス経済は“イギリス病”と呼ばれるほど深刻な大不況。物価は上昇するが景気はずっと悪いいわゆるスタグフレーションの真っ只中だった。まさに今の日本もその入口に立っているとも言われる状況の中、新首相サッチャーが打った手はイギリス社会を根底から覆す劇薬だった。根本的な保健サービスの改革、ゆりかごから墓場までの手厚い保険サービスの見直しに加え、インフラなどの国が管理するサービスの民営化に着手。この流れは日本にも波及。1980年代、中曽根康弘内閣時代に、国鉄や電電公社などを民営化。2000年代に入ってから、小泉純一郎内閣の郵政民営化やタクシー規制緩和も、新自由主義的政策の一つ。その世界の先駆けとなったのがサッチャーの政策だった。その後も金融規制の緩和など様々な政策を行い、イギリスを世界経済の主役へと押し上げ、総選挙で空前の3連勝。サッチャーの権力は頂点に。しかしその強すぎる信念が皮肉にも彼女を自滅へと追い込んでいく。キッカケは、彼女が決して譲らなかった2つのこだわり。サッチャーのコダワリの1つが人頭税。富豪も貧しい労働者も、収入や財産に関係なく一律税金を同じ金額に。イギリス全土で暴動が起き支持率は急落。それでも彼女は、これは公平な制度と一切耳を貸さなかった。もう1つが、現在のEUであるヨーロッパ共同体(EC)との確執。イギリスの主権が奪われると猛反発。
