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「伏龍」 のテレビ露出情報

戦時中、極秘に進められた海の中の特攻部隊「伏龍」。過酷な訓練の証言。神奈川・鎌倉市の稲村ヶ崎には戦争末期の遺構がある。その姿を伝えるブロンズ像が民家に保管されていた。潜水服姿の隊員。持っているのは竹竿で先端には爆薬がついている。海底に潜み船を爆破するこの特攻舞台は伏龍と呼ばれていた。1945年4月、沖縄本島にアメリカ軍が上陸。年内に本土上陸と予想されていた。伏龍は海沿いの陣地に配置され、上陸が始まる直前に海の中に展開、敵の船を海底から攻撃する計画だった。海中の人間爆弾だった。伏龍元隊員の鈴木さんに話を聞いた。旧日本海軍はパイロット要員として大量に若者を採用していたが、飛行機がなくなり、彼らの新たな使い道を探していた。そうした中で伏龍が考え出されたという。1945年5月に舞台で特攻隊員の募集があった。様々な体力測定が行われた。なんの説明もないまま、240人の中から7人が選ばれたという。そして神奈川・横須賀市の海軍対潜学校に送られたという。そこで初めて伏龍の装備を見せられ説明を受けたという。隊員が持つ竿の長さは約5m。そもそも船が真上を通らない限り届かない。実戦で役に立つのかという声がある中で訓練が始まったという。
鈴木さんと海軍対潜学校の跡地へ。現在、跡地は艦艇装備研究所となっている。当時は一般の人には見えないようにテントで目隠しをしていたという。実際に訓練が行われていた海。伏龍の隊員は50人以上が訓練中に死亡。原因の一つが潜水器。清浄缶の中身は劇物の苛性ソーダ。清浄缶が破損し海水に溶けた苛性ソーダを吸い込み死亡する隊員が多かったという。毎日のように訓練が行われたという。伏龍は身につける際、最後に面ガラスをはめ込む。鈴木さんはその音が嫌いだった。逆に海底から浮上し面ガラスを外すと空気がおいしかったという。伏龍は操作も難しく鈴木さんはそれで命を落としかけた。その日、鈴木さんは船から命綱をつけ海に入った訓練は潜水と浮上を繰り返し行うというもの。伏龍は頭を傾け側頭部のスイッチを押すと潜水するが、その加減が難しいという。鈴木さんは海底にて気を失った。このとき命綱を握っていた中馬さんが異常に気づいたという。中馬さんは3つ年上の17歳。最年少だった鈴木さんの面倒をよく見てくれたという。時間があると海岸に行き、故郷・鹿児島や母の話をしてくれたという。しかし、その中馬さんは訓練中に死亡。浮力を失い頭から海底に落下した。この時、命綱を握っていたのは鈴木さんだった。引き揚げると鉄でできた潜水帽がつぶれているのが目に入った。
眼の前で息絶えた親友。その現場を訪ねた。特攻部隊「伏龍」の元隊員の男性に話を聞く。装備の安全性や作戦の実効性が検証されないまま訓練が続けられた伏龍。若者たちの命が軽く扱われていた。中馬さんの死から1か月後、日本は降伏した。国や家族のことを思いながら、訓練で命を失った隊員たち。しかし、公式な記録は一切残されていない。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年1月30日放送 15:50 - 19:00 日本テレビ
news every.いまを、戦前にさせない
戦時中、極秘に進められた海の中の特攻部隊「伏龍」。過酷な訓練の証言。神奈川・鎌倉市の稲村ヶ崎には戦争末期の遺構がある。その姿を伝えるブロンズ像が民家に保管されていた。潜水服姿の隊員。持っているのは竹竿で先端には爆薬がついている。海底に潜み船を爆破するこの特攻舞台は伏龍と呼ばれていた。1945年4月、沖縄本島にアメリカ軍が上陸。年内に本土上陸と予想されていた。[…続きを読む]

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