再びみのもんたさんの人生を変えたのはプロ野球ニュースのワンコーナーから生まれた「珍プレー好プレー」だった。一度聞いたら忘れられない名調子だが、当時のディレクター・高島二六氏によると番組の始まりは偶然だったという。当初はプロ野球の“雨傘番組”だったとのこと。しかしいざみのがナレーションをあてたときについて高島さんは「素材を見せ物として100%はおろか200~300%価値を上げる。こちらの映像も一押ししたいと思うものをみのさんが言葉で表現して番組の価値を上げてくれた。原稿はない。我々はナレーションをあてるまで中身は分からなかった。でもそれが面白かった本当に天性だと思う。普通のアナウンサーがやってもなかなかできないと思う。」と話した。中でも後に伝説とまで言われたのが中日ドラゴンズ・宇野選手の「ヘディング事件」と広島東洋カープ・達川選手がコンタクトを落とし探す場面。達川さんは「みのさんが珍プレーを好プレーに変えてくれた」と語る。プロ野球ニュースの打ち上げのときにはみのさんに「達川くんと宇野くんのおかげで俺は世に出られた、ありがとね」と真顔で言われたという。こうして39歳にして2度目のブレイクを果たしたみのさんはその4年後…。