マッハ文朱さんは15歳で全日本女子プロレスに入り、18歳で世界チャンピオンのまま引退した。選手生活は2年8か月。歌も披露するなどアイドル的な人気を誇っていた。デビュー曲は「花を咲かそう」。来年でマッハ文朱を名乗って50年を迎える。活動する中でマッハ文朱とフルネームで呼ばれ、最高にいい名前だと感じている。22歳で番組に出演したときの映像を振り返り、足を広げて座っていたことに驚いていた。マッハ文朱さんの母は病弱な人で、大きな病気はしていないが入退院を繰り返し、63歳で他界した。母はプロレス入門に反対していた。顔に傷をつけず健康に育てたいというのが母の願いだった。