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「内藤礼」 のテレビ露出情報

ゴミの島、豊島でもがき苦しんでいたのはみかん農家の山本彰治だった。豊島みかんと銘打ち、手塩にかけたみかんが、不評被害にあっていた。問屋から豊島の名前を消してくれと言われた。多くの観光客が訪れアートの島と歩み始めた直島。一方、豊島はゴミの島のレッテルが消えず衰退が止まらなかった。山本に豊島にも美術館ができるという知らせが届いた。山本は美術館のコンセプトに心が踊った。棚田を舞台にした美術館。美術館開館まで1年、棚田は荒れ放題となっていた。1人しぶとく米作りを続けてきた曽我晴治は、棚田の再生は不可能だと言い放った。あれた棚田は東京ドーム2個分の広さ。再生には最低でも3年はかかる。それでも山本は引かなかった、毎日、曽我の家に行き頭を下げ続けること1週間。曽我が折れた。協力を呼びかけると次々に島民が名乗りを上げた。総勢17名で田んぼを再生していった。1年後、棚田が蘇った。そして豊島美術館が完成した。2010年10月、豊島美術館オープンの日、船は溢れんばかりの人を乗せて港にやって来た。この年、人口1000人の豊島に17万人が訪れた。

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