2025年7月、平山さんは冠動脈血栓症で倒れた。入院費約27万円のうち7万円を都合し残りは分割で退院が決まった。口からは食事ができず、栄養は鼻から。平山さんを知ったのは2014年。訪ねた自宅にはフィリピンで設けた娘がいた。毎晩乗り合いバスにお客を呼び込むのがこの頃の仕事だった。知人とフィリピンで日本料理店を出そうとしたが、その知人が平山さんの有り金をカジノで全て失い目論見は潰えた。
日本の娘さんを探し出し、平山さんと電話での再開を実現させたのはディレクターだった。2016年5月、日本人の居候の宮崎さんがいた。体調を崩した宮崎さんを見かね、治療費を用立てたことも。2017年2月、宮崎さんが亡くなった。宮崎さんに送金を約束していた伊藤さんも世を去った。
2023年8月、4年ぶりに平山さんを訪ねると、内縁の妻のテスさんは亡くなっていた。
日本の娘さんを探し出し、平山さんと電話での再開を実現させたのはディレクターだった。2016年5月、日本人の居候の宮崎さんがいた。体調を崩した宮崎さんを見かね、治療費を用立てたことも。2017年2月、宮崎さんが亡くなった。宮崎さんに送金を約束していた伊藤さんも世を去った。
2023年8月、4年ぶりに平山さんを訪ねると、内縁の妻のテスさんは亡くなっていた。
