中国では子どもの誘拐事件が多発しており年間最大7万人の子どもが行方不明になっている。1994年1月8日、露天商の王さんが露天を離れたわずか数分の間に3歳の娘・チーフォンが姿を消した。警察の対応は極めて事務的なものだった。事件当時、中国では子どもの誘拐が深刻な問題となっていた。夫婦は尋ね人の新聞広告を出すなど娘を捜し続けた。1998年、王さんは娘の行方を捜すためリアカーで各地をまわる炭売りに転職。誘拐された子どもたちは跡継ぎや労働力として売られるケースが多い。誘拐犯の手を離れ保護されることもある。当時、チーフォンも誘拐犯から逃れひとりで生きていた。チーフォンを発見した貧しい出稼ぎ労働者だったホウインが保護。ホウインの家は父の家からわずか20kmの場所だった。
チーフォンはカンエイと名付けられたが、チーフォンを引き取ってからしばらくしてホウインは不慮の事故で死亡。年老いた両親とホウインの弟がチーフォンの面倒を見ることに。チーフォンの疾走から8年の2002年、王さん夫妻にチーフォンの妹が誕生。警察からチーフォンらしき少女が保護されたという情報が入ったが、金目当てに自分の子を売りつけようとしていた嘘の情報だった。金目当ての嘘の情報は跡を絶たなかった。王さんは捜索範囲を広げるため運送業に転職。2007年、チーフォンは父が暮らす成都に働きに出ていた。
チーフォンはカンエイと名付けられたが、チーフォンを引き取ってからしばらくしてホウインは不慮の事故で死亡。年老いた両親とホウインの弟がチーフォンの面倒を見ることに。チーフォンの疾走から8年の2002年、王さん夫妻にチーフォンの妹が誕生。警察からチーフォンらしき少女が保護されたという情報が入ったが、金目当てに自分の子を売りつけようとしていた嘘の情報だった。金目当ての嘘の情報は跡を絶たなかった。王さんは捜索範囲を広げるため運送業に転職。2007年、チーフォンは父が暮らす成都に働きに出ていた。