水曜、第2次岸田再改造内閣が発足。最年少は二児の母親の加藤鮎子子ども政策担当大臣(44)。父は、防衛庁長官などを歴任し2016年に亡くなった加藤紘一氏。思い出されるのは2000年、いわゆる加藤の乱で、当時の森喜朗総理に反旗を翻し、野党からの内閣不信任案に加藤氏率いる宏池会のメンバーは本会議での欠席を決めた。派閥の党である加藤氏は賛成票を投じようとしたが、これを谷垣氏が止める場面は歴史の残るワンシーンとなった。結局本会議を欠席し、加藤の乱は不発に終わり、政治家としての力を失っていくことになった。その三女が鮎子氏。政治ジャーナリストの田崎史郎は、加藤鮎子さんは政治家としては何の実績もないですよ、加藤さんでなければならない理由はない、加藤さんは谷垣グループに所属している、派閥への目張りということですね、などとコメントしていた。さらに田崎史郎氏は、一番注目されるのは上川陽子さんだと発言。上川陽子外務大臣は法務大臣を3回歴任していて、有名な逸話がある。法務大臣時代にオウム真理教の死刑囚に対し、死刑の命令書にどんどん署名をしていった、死刑の命令を出すのは誰でも嫌なものなんですよ、それを13人も署名したというのは非常に勇気が必要だとした。上川氏は東京大学卒業後、三菱総合研究所を経て、米・ハーバード大学に留学。帰国後には政策コンサルティング会社を設立し、2000年衆院選挙で初当選。田崎氏は、様々な要素、政策面・判断力・胆力 そういう意味で揃っているのは上川さん、女性で総理大臣が誕生するとしたら上川さんだろうとずっと言われてきたという。