大阪・北新地、高級飲食店街で3000軒を超える店が軒を並べる。大島美玲さんはこの街でラウンジを運営する。店は一見さんお断りの会員制、既存のお客さんが新たなお客さんを紹介するスタイルで、高級店の部類に入るがお客さんは決して高いと感じないという。美玲さんは「楽しい店にしたい、接客が好きだ」と語る。美玲さんは新たな試みを模索する。この日は中小企業の社長などと交流するイベントに参加し、TikTokでの配信を行い、接点のなかった人たちを取り込もうとした。ある日、体調不良者が出たことでホステスさんを派遣してくれる会社に連絡するが、現状誰も派遣できないという。北新地ではコロナ禍以降人手不足が続いている。そんな中で美玲さんが期待を寄せるのは娘の紫央さん。最初はアルバイト感覚だったが、美玲さんは彼女に対して全幅の信頼を置いている。12月のある日、美玲さんの母で“大ママ”で創業者の光子さんの誕生日を迎えた。光子さんは店を美玲さんに譲ってからは馴染みのお客さんが来店する時のみお店に立つ。光子さんは若いホステスさんや従業員の男性に声をかける。そんな光子さんは北新地の「品位」を大切にしてきた。それだけに2代目の美玲さんのやり方に関して快く思わない部分もあるのだという。美玲さんの様々な試みに関して、光子さんは立派だと褒めつつ店の指針を忘れないでほしいのだと語った。
美玲さんは母である光子さんと同様に離婚して女手一つで子育てしてきたが、必ずお子さんのお弁当作りなどを行う。光子さんはそれができなかったが、意地を見せるかのようにこうした家事もこなす。8年前、光子さんが60代半ばを迎えた光子さんの負担を軽減するために2代目に就任した。美玲さんは光子さんに自分を信じてほしいと語るが、そうした直接的な言葉は未だ言われないのだという。3年ぶりのクリスマスイベント、その際に古くからの馴染みのお客さんが「正真正銘親子3代で運営している」と語る。紫央さんはその言葉を重荷に感じているのだという。大学時代キャビンアテンダントを目指していた紫央さん、しかしコロナ禍もあり航空会社が採用を見合わせていることから母のお店を手伝ってきた。しかしそんな状況を迷っており、本当にやりたいことができているのかと自分自身に疑問を抱えていた。
大忙しのある日、長居して接客させていた客を光子さんが追い出した。そのお客さんに関して「もう来なくていい」と語る光子さん、美玲さんはそれ解せない様子を見せる。一方紫央さんは店を辞めようかと思うと美玲さんに告げていた。美玲さんは紫央さんに「もう少しいてほしい、無理強いはしないけど」とメッセージを送った。美玲さんはお母さんが作った大事な店を守り、その姿を娘に見せたいと考えたのだという。ただ美玲さんのメッセージに対する紫央さんの返信はなかった。店の1年は終わろうとしていたある日、美玲さんは従業員さんに「2023年を表す漢字を挙げ、2024年どうなりたいか漢字で表現してほしい」と提案。紫央さんは今年を様々な人と繋がったことから「人」と表現、2024年は我侭に生きたいと「我」と書いた。美玲さんは紫央さんの気持ちを受け止めた。50歳の誕生日を迎えた日、大ママである光子さんは美玲さんに「自分が信じるお店づくりができるよう頑張ってほしい」と告げ、美玲さんはやっと認めてもらえたのではと語った。
美玲さんは母である光子さんと同様に離婚して女手一つで子育てしてきたが、必ずお子さんのお弁当作りなどを行う。光子さんはそれができなかったが、意地を見せるかのようにこうした家事もこなす。8年前、光子さんが60代半ばを迎えた光子さんの負担を軽減するために2代目に就任した。美玲さんは光子さんに自分を信じてほしいと語るが、そうした直接的な言葉は未だ言われないのだという。3年ぶりのクリスマスイベント、その際に古くからの馴染みのお客さんが「正真正銘親子3代で運営している」と語る。紫央さんはその言葉を重荷に感じているのだという。大学時代キャビンアテンダントを目指していた紫央さん、しかしコロナ禍もあり航空会社が採用を見合わせていることから母のお店を手伝ってきた。しかしそんな状況を迷っており、本当にやりたいことができているのかと自分自身に疑問を抱えていた。
大忙しのある日、長居して接客させていた客を光子さんが追い出した。そのお客さんに関して「もう来なくていい」と語る光子さん、美玲さんはそれ解せない様子を見せる。一方紫央さんは店を辞めようかと思うと美玲さんに告げていた。美玲さんは紫央さんに「もう少しいてほしい、無理強いはしないけど」とメッセージを送った。美玲さんはお母さんが作った大事な店を守り、その姿を娘に見せたいと考えたのだという。ただ美玲さんのメッセージに対する紫央さんの返信はなかった。店の1年は終わろうとしていたある日、美玲さんは従業員さんに「2023年を表す漢字を挙げ、2024年どうなりたいか漢字で表現してほしい」と提案。紫央さんは今年を様々な人と繋がったことから「人」と表現、2024年は我侭に生きたいと「我」と書いた。美玲さんは紫央さんの気持ちを受け止めた。50歳の誕生日を迎えた日、大ママである光子さんは美玲さんに「自分が信じるお店づくりができるよう頑張ってほしい」と告げ、美玲さんはやっと認めてもらえたのではと語った。