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「台湾総督府」 のテレビ露出情報

依頼者・内澤真子さんの祖父・塩隆義。6人兄弟の長男に生まれ、家計が苦しかったこともあり仙台高等工業学校(現在の東北大学工学部)に進学。学んだのは当時需要が大きかった土木工学。台湾総督府の土木課に就職。当時は外地への就職が花形とされていた。河川に関する技術者として働き、台湾で最も流域面積が広い高塀渓の堤防など手がけた。
依頼者・内澤真子さんの祖父・塩隆義。同郷の千代子と結婚し4人の子どもを授かり、経済的に豊かな生活を送っていた。隆義が台湾にわたって9年、長男が3歳で急死。5年後には妻も病死。絶望の淵に立たされていたところ、太平洋戦争の激化で徴兵され自宅も爆撃される。戦後は仙台へ引き上げ、空襲で焼け野原になった故郷で市役所職員となる。配属先は都市計画を担う復興局。中心部の計画で大事にしたのは緑を多くすること。植樹を見据えて道路を広くとろうとしたが、住民や国から反対されながらも「辛抱すればいいことがある」と推し進めた。
依頼者・内澤真子さんの祖父・塩隆義。戦後の仙台で都市計画を担い、区画整備の対象となる住民に配慮し公営住宅の建築も進めていった。今も残る定禅寺通などは隆義が手がけたもの。「杜の都」という呼び名は明治時代の文献で初めて登場したが、江戸時代に伊達政宗が飢饉への備えとして植樹を奨励したのが始まりとされる。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月13日放送 14:00 - 14:55 フジテレビ
ザ・ノンフィクション今晩 泊めてください2 ボクが一生続けたいこと 後編
あくる朝、最長老の廖さんが石田さんと向き合った。語り出したのは日本統治下の少年時代。廖さんは「中日戦争の時、僕は小学6年生。あの時は日本の騎兵隊はあちこち行くから食うものが少ない。だから台湾の学生を利用して、台湾で馬の料理を準備して大陸へ送っていく。台湾人は日本兵になれないから軍務として徴兵されて戦争の補給をする。工業学校に入って2年後、台北の大空襲。今の総[…続きを読む]

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