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オープニング映像。
一夜の宿を求めて街中に立つシュラフ石田さん。相手から話しかけられるまではじっと黙っているのが彼のルール。大晦日の夜、泊めてくれるというきょうさんは一人飲みの帰りだった。それを聞くと自分の夕食を調達する。1Kの部屋に一人暮らしで、クローゼットが寝室になっている。実家から送られてきたというカニを頂く。Wi-Fiを借り、さっそくXにごちそうをアップ。きょうさんの仮眠中におふろに入る。清潔感を保つため、毎晩のスキンケアは欠かせない。
1991年、会社勤めの父のもと千葉に生まれた石田さん。1浪し、佐賀大学へ入学。在学中の海外旅行で人生観が変わる。大学4年生のとき台湾で初めて見ず知らずの人の家に泊まり歩いた経験が忘れられず、28歳から今のスタイルで生きてきた。2025年1月には、台湾に向かう。台湾の原宿とも言われる西門の街で、初めて誰かに泊めてくださいと訴えた。20分足らずで今宵の宿が決まった。松山慈佑宮は、どんなお願いも叶えてくれるというパワースポットだという。泊めてくれる頼さんのおすすめの胡椒餅は屋台の定番。饒河街観光夜市は、土地っ子も観光客も楽しめる人気エリア。頼さんは九州と台湾を行き来してインテリア雑貨の貿易などを手掛けている。仕事に向かう頼さんの車で最寄り駅まで送ってくれた。日中をカフェで過ごすいつものパターンは台湾でも変わらない。YouTubeチャンネルを持つ石田さんは、首から下げているカメラの映像を週に1度は投稿している。
今晩石田さんは台北・公館で泊めてくれる場所を探す。名門台湾大学の存在でも知られる学生の街だが日本の新幹線が好きな台湾大学生「ヤマヒコ」さんが声をかけてくれた。ヤマヒコさんは材料科学を学んでいて幼い頃に父と日本で新幹線に乗ったことで好きになりことばも独学で覚えたという。鉄板焼の店で割り勘で食事を取り1人ぐらしをしているマンションにお邪魔した。ヤマヒコさんに将来なりたいものを聞くと「大人になると小さい頃の夢は全て消えた。お金のために勉強してお金を稼いで投資して、一定のお金を達成すると自由な人生を過ごせる。でも今は分からない」などと話し石田さんの生活を「うらやましいけど私にはできない。心配事が多すぎてその勇気がない」と話した。
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この日は1年前にも泊めてくれた台南に暮らす大家族のお家に向かう。ちょうど旧正月に突入する時期で、成り行きで泊めてくれる家は限られるため、あらかじめ連絡している。翻訳アプリが大活躍している。前回は夜市で途方に暮れていた石田さんを招き入れてくれた。親戚も集まる新年会が行われている。旧正月の間すっかりお世話になり、再び台北。若い女性が興味を示してくれた。ボーイフレンドと二人で暮らしているというお家へ向かう。2人は付き合って5年になるという。週末は夜の街を散歩しているという2人に石田さんも誘われた。台湾の人は圧倒的に優しいと言っていた石田さん。この夜もすぐに家主が見つかった。誘ってくれたのは夕食帰りの親子だった。大家族の最年長になるおじいさんまで歓迎してくれた。
あくる朝、最長老の廖さんが石田さんと向き合った。語り出したのは日本統治下の少年時代。廖さんは「中日戦争の時、僕は小学6年生。あの時は日本の騎兵隊はあちこち行くから食うものが少ない。だから台湾の学生を利用して、台湾で馬の料理を準備して大陸へ送っていく。台湾人は日本兵になれないから軍務として徴兵されて戦争の補給をする。工業学校に入って2年後、台北の大空襲。今の総督府、爆弾で破壊された半分破壊された。少しずつ米を盗んで食べて発見される。逃げ帰ってきて、学校から通知がきた。部隊に行かなければ退学せよと。だけど翌日には日本は天皇陛下が降参の報を」など話した。太平洋戦争が終わり廖さんは軍人として33年間働いた。その後、ホテルにつとめ今の家を建てたという。また、あなたの人生は充実していたか質問されると廖さんは「苦しいことは多い。だけど後悔はしない。時代の問題だからしょうがない。(100歳まで生きることができるかは)考えられない」など話した。家主さんの人生を知るのは石田さんの最大の楽しみ。こうして台湾の旅は終わった。
鹿児島市で迎えた2025年3月14日。石田さん34歳の誕生日。「今晩泊めてください」と書かれた紙を広げて路上に立っていると男性に声を掛けられた。その男性は「僕も友達のところに泊めてもらっているから。泊めたいんだけどね。これいい考え。僕もあちこち旅行している。今カンボジアから帰ってきたばかり。ボランティアでカンボジアへ。そこで日本語と英語を教えたり。農業を教えたり色んなことをしている。家も何もないけど、もう全部売った。持ち物は5キロ、下着、半袖が2枚、半袖が2枚、パンツが3枚。物は持たない方が良い。物があるとホントだめ、物に縛られる。物から支配される。君もそうだろうけど動けば色んな人とつながりが出てくる。あんまり心配することはない。せっかく生まれたからにはやりたいことをやる」など話した。大先輩に背中を押された自分の生き方。リュックひとつ、体ひとつでさすらっていく。石田さんの自由な日々はいつまで続くのか。
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