家主の冨澤さん。家は江戸時代終わりに購入し2回解体し、移築しているという。学芸員の佐藤さんは2020年に家の調査をした。冨澤家の納戸から見つけた古文書。1855年に起きた安政の大地震。このとき、冨澤家が住んでいた家が壊れ12代目・冨澤幸助が家を購入。佐藤さんと調査した一級建築士・宮島さん。この家には江戸時代の特徴がそこかしこに残っている。2階を低くするのは江戸時代の町人の家によくある作り。武士を見下ろすことを避けるため身分制度の配慮や建築規制へがあったためといわれている。ところが冨澤さんは武家屋敷と聞いている。実は江戸末期、この家が建っていたのは浅草・橋場。冨澤家に伝わる話によると当時の2階から江戸の風情を楽しんでいたという。
ここから家の大移動が始まる。12代目・冨澤幸助さんが70両で買ったのは上モノだけ。購入後、一度解体し自分の土地があった小谷野村に移築した。ところがそこは現在、荒川。かつてこのあたりは大雨で明治時代だけでも10回以上洪水が発生し大きな被害に見舞われた。そこで大正時代、政府は治水工事を行い荒川を作る一大工事を行った。移転を余儀なくされた約1300世帯。冨澤家も立ち退きにあった。大正時代の始め、冨澤家は北千住付近にやってきた。1923年に起きた関東大震災。家が半分に割れたという。柱は地震柱だという。冨澤さんが嫁いできたのは1970年のこと。欠かさないのが家のお手入れ。鬼瓦といわれた義理の父・15代目の冨澤孝之さん。冨澤孝之さんの定位置は玄関正面の4畳半。食事のときは冨澤さん家族と義理の姉家族が集まり冨澤孝之さんを囲んで食べていた。怖い父と戦ったのは義理の姉。鬼瓦と言われた冨澤孝之さんだが足立区の釘会議員を長年勤め、地域のために貢献した。その冨澤孝之さんのもう1つの顔が箕輪囃子を演奏しお稲荷さんに奉納していた。お囃子の日は家を近所の人に解放し箕輪囃子の継承にも力を注いだ。冨澤孝之さんがこの世を去った。
死後、箕輪囃子の奉納も行われなくなり賑やかだった家は静かになった。そこで冨澤さんは一念発起し茶道教室を始めた。2011年、東日本大震災を無事乗り越えた。2024年、国の登録有形文化財になった。
ここから家の大移動が始まる。12代目・冨澤幸助さんが70両で買ったのは上モノだけ。購入後、一度解体し自分の土地があった小谷野村に移築した。ところがそこは現在、荒川。かつてこのあたりは大雨で明治時代だけでも10回以上洪水が発生し大きな被害に見舞われた。そこで大正時代、政府は治水工事を行い荒川を作る一大工事を行った。移転を余儀なくされた約1300世帯。冨澤家も立ち退きにあった。大正時代の始め、冨澤家は北千住付近にやってきた。1923年に起きた関東大震災。家が半分に割れたという。柱は地震柱だという。冨澤さんが嫁いできたのは1970年のこと。欠かさないのが家のお手入れ。鬼瓦といわれた義理の父・15代目の冨澤孝之さん。冨澤孝之さんの定位置は玄関正面の4畳半。食事のときは冨澤さん家族と義理の姉家族が集まり冨澤孝之さんを囲んで食べていた。怖い父と戦ったのは義理の姉。鬼瓦と言われた冨澤孝之さんだが足立区の釘会議員を長年勤め、地域のために貢献した。その冨澤孝之さんのもう1つの顔が箕輪囃子を演奏しお稲荷さんに奉納していた。お囃子の日は家を近所の人に解放し箕輪囃子の継承にも力を注いだ。冨澤孝之さんがこの世を去った。
死後、箕輪囃子の奉納も行われなくなり賑やかだった家は静かになった。そこで冨澤さんは一念発起し茶道教室を始めた。2011年、東日本大震災を無事乗り越えた。2024年、国の登録有形文化財になった。
