1942年、宇野千代は徳島を訪れる。目当ては人形師・吉岡久吉。千代は東京で偶然見た久吉の人形に一目惚れ。徳島県立文学書道館に所蔵されているのは、久吉を長年取材した新聞記者に宛てて「久吉にどうしても会わせて欲しい」と送った手紙。全長1m以上。対面が叶い、目と鼻の先で久吉のしごとぶりを10日間見続けた。驚いたのは久吉が1日も休まず理想を追求する姿。千代は創作への姿勢を学び、1日も休まずに書くことを決意。この翌年、語り手の口調を文体に落とし込む「聞き書き」で初めて作品を発表。
人形師・吉岡久吉の創作姿勢に影響を受けた宇野千代。50歳の頃、後に純文学最高峰の野間文芸賞を受賞する「おはん」を書き始める。ヒロインは夫に不倫されても我が子を亡くしても前を向いて生きる力強い女性。自身の波乱万丈の人生を盛り込んでいる。10年かけて完成。以降60冊以上を刊行。85歳で刊行した自叙伝「生きて行く私」はミリオンセラーに。ポジティブな生き方で老若男女に愛された。98歳で死去。
人形師・吉岡久吉の創作姿勢に影響を受けた宇野千代。50歳の頃、後に純文学最高峰の野間文芸賞を受賞する「おはん」を書き始める。ヒロインは夫に不倫されても我が子を亡くしても前を向いて生きる力強い女性。自身の波乱万丈の人生を盛り込んでいる。10年かけて完成。以降60冊以上を刊行。85歳で刊行した自叙伝「生きて行く私」はミリオンセラーに。ポジティブな生き方で老若男女に愛された。98歳で死去。
