吉田三和子さんは3か月前に夫婦2人で夫の実家に引っ越してきた。台所は亡くなった義父が使っていた。三和子さんはは11年前に脳出血で倒れ右半身が麻痺になった。今は毎日の料理が何とか出来るまで回復している。義父が使っていた道具を引き継いでいる。三和子さんの憧れていた母は、料理上手で食事支援に力を入れた高齢者のデイサービスを設立している。母の期待に応え、薬学部に進学し卒業後は製薬会社へ。その後料理研究家に転進し、大所帯の料理教室を主宰するようになった。さらに母のデイサービスで調理を手伝い、介護職について探求し本を出版した。そんな中、突然の脳出血で料理どころか喋ることもままならなくなった。
苦しみを払拭してくれたのが義父の存在だった。義父は喉のがんを抱えながらも台所に立ち、ほぼ寝たきりだった妻のために毎日ご飯を作り続けた人だった。三和子さんも自分の料理本を送ったりして応援していた。義父が1年前に亡くなり見つかった義母から義父への手紙を読んだ時に台所に立ち続けた義父の本当の気持ちが分かったという。三和子さんは「義父は義母の介護をやりたいという一心で生き続け、やりたいことをやれる範囲でやることが尊い。」などと話した。
三和子さんは現在、母のデイサービスで働いている。三和子さんは「料理家として戻るとかそういうプレッシャーから解放された。」などと話した。この日、三和子さんは友達を家に招きおでんを振る舞った。
苦しみを払拭してくれたのが義父の存在だった。義父は喉のがんを抱えながらも台所に立ち、ほぼ寝たきりだった妻のために毎日ご飯を作り続けた人だった。三和子さんも自分の料理本を送ったりして応援していた。義父が1年前に亡くなり見つかった義母から義父への手紙を読んだ時に台所に立ち続けた義父の本当の気持ちが分かったという。三和子さんは「義父は義母の介護をやりたいという一心で生き続け、やりたいことをやれる範囲でやることが尊い。」などと話した。
三和子さんは現在、母のデイサービスで働いている。三和子さんは「料理家として戻るとかそういうプレッシャーから解放された。」などと話した。この日、三和子さんは友達を家に招きおでんを振る舞った。