1970年、櫻田は会社を退社し同僚たちと新しい商売を始めた。それは靴の出張販売。しかし売れずにギリギリの生活を送っていた。そんなある日会社員時代に食べたあるグルメに挑戦することを決意した。櫻田はロサンゼルスに行き、そのグルメを学ぼうとた。こうして無償で働く代わりにレシピなどを教えてもらった。日本に帰り開発に取り掛かり半年後に完成した。しかし都心に出店が出来ず3人は物件を見つけた。倉庫を貸してもらうべく、青果店の手伝いをして貸してもらうこととなった。こうしてオープンしたのがモスバーガーだった。櫻田たちが修業に行ったのはロサンゼルスのトミーズで現在でもモスバーガーの研修が行われている。
オープン当初、新たな人材も雇った。営業時間は朝6時半~夜11時。しかしなかなか上手くいかなかった。そんな中、櫻田が過労で倒れてしまった。この時に忘れていた笑顔を取り戻した。また客とのふれあいが憩いの場へと変えていき、放課後のたまり場となっていた。しかしまだギリギリの経営状況であった。オープンから半年後に食品会社の開発部長に相談した。日本人にも馴染む味にするよう開発を進めた。こうして出来たのがテリヤキバーガーだった。しかしテリヤキバーガーは売れなかった。
オープン当初、新たな人材も雇った。営業時間は朝6時半~夜11時。しかしなかなか上手くいかなかった。そんな中、櫻田が過労で倒れてしまった。この時に忘れていた笑顔を取り戻した。また客とのふれあいが憩いの場へと変えていき、放課後のたまり場となっていた。しかしまだギリギリの経営状況であった。オープンから半年後に食品会社の開発部長に相談した。日本人にも馴染む味にするよう開発を進めた。こうして出来たのがテリヤキバーガーだった。しかしテリヤキバーガーは売れなかった。