市橋さんの信念は患者との日々の中で築かれてきた。がんを患い余命宣告を受けていた羽角さんは、吐き気や倦怠感と戦いながら自分らしい日々を送ろうとしてきた。市橋さんは治療だけでなく羽角さんの希望を叶えるサポートに力を入れてきた。病気で諦めていた息子との旅行や友人とのお泊り会などの外出に合わせて治療日を組み換え、時には医療スタッフを立ち会わせた。亡くなる6日前には、桜の下で好きな音楽を聴きたいという最後の願いを叶えた。自分の最期をどう決めるのかの議論は日本でも続けられてきた。延命治療を行わずに死を迎えることを望む患者が増えたことを受け、1990年代には医療現場で尊厳死が容認されるようになった。現在日本では安楽死は認められていないが、近年は日本人が海外で安楽死を選ぶ事例が出てきている。