兵庫県の山奥で自給自足の生活をする大森家を取材した。父親の昌也さんと息子が3人、娘が3人の7人家族。自らを「百姓家族」と名乗っていた。昌也さんは若い頃は学生運動に明け暮れた。長男ケンタくんがアレルギー体質だったこともあり、徒輩を離れたいと思い始めた。大地と触れる生活をするうち、ケンタくんのアレルギー体質も改善された。奥さんはある日、6人の子どもを置いて出て行ってしまった。末っ子の双子は10歳にして刃物の手入れをしていた。子どもたちはあまり学校に通っていない。家の仕事が終わらないと学校に行けない。卵を産まなくなった鶏を食用にするのを長女のちえは嫌がった。
大森家で育てている野菜は30種類以上。次男のげんくんは野菜作りに熱心だった。母屋の隣にはパン焼き小屋がある。天然酵母で添加物のないパンをげんくんが焼いている。パンは全国の支援者に送り生活費の足しにしている。三男のユキトくんは山の中の生活があまり好きではないと語っていた。2000年、ユキトくんは家を出て麓にある大規模農家で住み込みのアルバイトを始めた。数日後、ユキトくんはバイト先も飛び出し東京へ向かった。大手プロダクションの研究生として無料で演技のレッスンを受けていた。次男のげんくんは時々山を降りて解体業のアルバイトを始めた。2002年の春、自給自足の生活をしてみたいという若い女性が大森家に住み込みで研修に来た。梨紗子さんは大森家の家族にもすぐに溶け込んだ。げんくんと梨紗子さんには実家の近くに土地を借りて自分たちの手で家を建てる計画があった。1年が過ぎたころ、計画は実現化に向け動き出した。
大森家で育てている野菜は30種類以上。次男のげんくんは野菜作りに熱心だった。母屋の隣にはパン焼き小屋がある。天然酵母で添加物のないパンをげんくんが焼いている。パンは全国の支援者に送り生活費の足しにしている。三男のユキトくんは山の中の生活があまり好きではないと語っていた。2000年、ユキトくんは家を出て麓にある大規模農家で住み込みのアルバイトを始めた。数日後、ユキトくんはバイト先も飛び出し東京へ向かった。大手プロダクションの研究生として無料で演技のレッスンを受けていた。次男のげんくんは時々山を降りて解体業のアルバイトを始めた。2002年の春、自給自足の生活をしてみたいという若い女性が大森家に住み込みで研修に来た。梨紗子さんは大森家の家族にもすぐに溶け込んだ。げんくんと梨紗子さんには実家の近くに土地を借りて自分たちの手で家を建てる計画があった。1年が過ぎたころ、計画は実現化に向け動き出した。