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「嘉瀬誠次さん」 のテレビ露出情報

放浪の天才画家と呼ばれた山下が27歳(1949年)の時に訪れたのが新潟県長岡市だった。伝説の花火師と呼ばれた嘉瀬煙火工業の嘉瀬誠次さんは関係者以外立ち入り禁止の河原に現れた山下を見つけ、危ないからと言って追い払った。花火大会の数日後に週刊誌を見ていた嘉瀬は追い払った男性が気鋭の画家だったと知る。7年後に有名になった山下の個展を訪れた嘉瀬が見たのが「長岡の花火」(複製制作された中の1枚)だった。運命を感じた嘉瀬は「長岡の花火」を購入したという。2人とも1922年生まれで同い年だった。
ちぎり絵作家のウメチギリさんに山下の天才的な貼絵の技を解説してもらった。全て手でちぎって貼ることで温もりやエネルギーが生まれている。いびつでランダムな線が画面上に大きな動きを作っている。まっすぐに広がる花火の線はこよりを使っている。山下の技巧が頂点に達した最高傑作が「長岡の花火」だった。
長岡まつり大花火大会は明治時代の1879年9月に始まり、戦争で中止されたが、1947年8月に復活した。1945年8月1日の長岡空襲では1488人が犠牲になった。長岡花火ではサイレンがなり、空襲で亡くなった人々を鎮魂する思いが込められている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2023年8月19日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
長岡まつり大花火大会が開催される前日の8月1日夜10時30分に白菊3発が打ち上がる。伝説の花火師と呼ばれた嘉瀬誠次さんが20年前に始めて以来、毎年欠かさず行われている。戦後に嘉瀬さんはシベリア抑留を経験した。帰国した嘉瀬さんはシベリアで亡くなった戦友たちを忘れることはなかったという。1990年7月にハバロフスクで真っ白な花火を打ち上げ、戦友を弔ったのが白菊の[…続きを読む]

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