高知県の中央に位置するいの町。かつては紙問屋だった建物が町には多く存在する。いの町は1000年以上続く伝統工芸品「土佐和紙」の中心地だった。いの町は今も昔も紙の町だという。尾崎伸安さんは現在残った数少ない紙漉き職人。植物の繊維が混ざった水を数十回漉くことで土佐和紙は出来上がる。尾崎さんたち職人は注文によって漉く回数を変え、厚さを変えるという。代々紙漉き職人だった尾崎さんの家系。だが尾崎さんは当初紙漉き職人ではなく運送会社に勤務していた。40歳の時に運送業が上手くいかなくなり、紙漉きを始めた。この時技術を教えてくれたのはお父さんだという。とある日、尾崎さんは息子の太一さんと一緒に作業を行う。彼は5年前からお父さんのもとで紙漉きを学んでいる。幼い頃から紙漉きが身近にあったという太一さん、現在は昼間は職人として、夜はアルバイトをしているという。尾崎さんはなるべく良い状態で息子さんに繋いでいきたいのだと語ってくれた。
土佐和紙を守る人は職人だけでなく原料となるこうぞを育てる農家もいる。かつては農閑期に多く育てられていたこうぞだが、現在は辞めてしまう農家も多かった。筒井茂位さんは15年前から仲間たちとともに世話を続けている。とある週末、地域の人たちが集まりこうぞ蒸しを行う。枝を蒸し上げること和紙の原料となるこうぞの皮が剥がれやすくなるという。筒井さんはこうぞ栽培に関して「みんなで続けていければ」と話してくれた。尾崎さん親子はある日、高校に紙漉き教えにやってきた。ふるさとの伝統がなくならないための授業だという。和紙が人と人とをつなぐ。
土佐和紙を守る人は職人だけでなく原料となるこうぞを育てる農家もいる。かつては農閑期に多く育てられていたこうぞだが、現在は辞めてしまう農家も多かった。筒井茂位さんは15年前から仲間たちとともに世話を続けている。とある週末、地域の人たちが集まりこうぞ蒸しを行う。枝を蒸し上げること和紙の原料となるこうぞの皮が剥がれやすくなるという。筒井さんはこうぞ栽培に関して「みんなで続けていければ」と話してくれた。尾崎さん親子はある日、高校に紙漉き教えにやってきた。ふるさとの伝統がなくならないための授業だという。和紙が人と人とをつなぐ。