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「垣添忠生さん」 のテレビ露出情報

今回取り上げるのは2009年放送の「あと数か月の日々を〜物理学者・戸塚洋二 がんを見つめる〜」だという。ゲストは物理学者の梶田隆章だと紹介した。戸塚洋二さんとともにニュートリノ研究を行い2015年にノーベル物理学賞を受賞したという。
2009年に放送された「あと数か月の日々を〜物理学者・戸塚洋二 がんを見つめる〜」の映像が流れた。戸塚洋二はニュートリノに質量があることを証明したが、次の実験の準備の際にガンが見つかり治療に専念せざる得なくなったという。戸塚洋二はガンとの闘いをブログで公開するようになった。ブログでは自身のガンがかなり進行していることを伝えている。
志半ばで第一線を退いた戸塚洋二はブログで研究生活への思いを度々綴っている。戸塚洋二を指導した小柴昌俊さんは戸塚洋二について「ものすごく生真面目で自分が何をするべきか考え尽くして実行するというタイプだった」と語っている。そんな戸塚洋二はニュートリノに質量があることを証明するために研究を続け、国際会議でそれを証明し、T2K実験を計画した。しかしそこでガンが見つかり、研究現場を去り、自宅でガンと向き合うようになったという。自宅でCT写真を分析するようになり、医師の島田安博さんはその正確な分析に驚いたと語っている。
抗がん剤治療をやっていた戸塚洋二は涙で目が潤んで見えにくくなるという症状に悩んでいたという。これは抗がん剤の副作用ではないのかと思い実験をするようになり、ガン患者のデータベースについても調べるようになったという。2008年になるとガンの転移が広がっていることがわかり、迫りくる死を意識するようになったという。そうした中で科学的な視点で仏教を語る佐々木閑さんと交流するようになり、そこでの対話で得たものもブログに載せるようになったという。
2008年3月。戸塚洋二はそれまで行ったことがない異常な行動を取るようになり、家族は救急車を呼んだという。そこで脳のMRIで腫瘍が見つかったという。息子の戸塚洋史さんは脳にできたガンに放射線を当てる治療法を見つけ、その治療法を受けた。治療後に戸塚洋二は頭に浮かんできた幻覚を絵に書いてブログに載せた。
2008年4月下旬。戸塚洋二のガンに有効な治療法はほとんど残されてなかった。2008年7月になると一人で歩けないほど体力が落ちていしまい入院することになった。この日からパソコンを使うことができなくなり、病状をノートに残すようになった。入院から1週間して戸塚洋二は死去した。最後まで科学者としての生き方を貫き通した。その後、T2K実験が本格的にスタートし、ニュートリノのを人工的に作ることに成功したという。
スタジオでは放送された「あと数か月の日々を〜物理学者・戸塚洋二 がんを見つめる〜」について話題になった。梶田隆章は「壮絶だなと思い、やっぱり辛いと思った」と放送内容の感想を語った。また梶田隆章は「研究者はこういうものだと若い人に感じてもらいたい」と語った。

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