東京・杉並区で可燃ごみの収集者が環八の側道から専用道路に入った。向かったのは杉並清掃工場。杉並清掃工場・川本将史さんが「東京ごみ戦争歴史未来館」を案内。杉並清掃工場の歴史と教訓を伝えている。1970年代、江東区「夢の島」が東京23区のごみを受け入れていたがハエや悪臭に苦しめられた。美濃部都知事は1971年に「ごみ戦争」宣言し、焼却施設の増設を計画。だが候補となった杉並区では住民による建設反対運動が起こった。江東区では杉並区のごみ受け入れを拒否する事態に。1982年、初代「杉並清掃工場」が完成。焼却施設は東京23区内に22施設ができた。灰になったごみは新海面処分場に向かう。東京都廃棄物埋立管理事務所・上田一彦所長は「最後の最後の廃棄物処分場」と話した。これ以上埋立地を作ることはできない。全国の最終処分場の平均残余年数は23.4年。待ったなしの最前線で奮闘する人たちを追った。プラごみ分別現場、生ごみでイチゴが激変、日本の技術でごみを宝にする取り組みを追った。ごみを集める作業員が人手不足。ごみ収集維持が難しい自治体が増えている。この大問題を解決しようと、鉄道会社が立ち上がった。