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「大和坐り」 のテレビ露出情報

タモリさんは三千院へ。まずは有清園で癒やしを感じた。往生極楽院は国宝 阿弥陀三尊坐像がお祀りされている。ほかの菩薩様と違って大和坐りをしている。三千院で一番大事にしている癒しの法要とは声明。大原は平安時代より声明の一大修練場として多くの僧が修行に訪れた。その癒やしの音楽は喧騒から離れた小さな山里だからこそ発展したんですね。
続いてタモリさんは三千院の南側の山裾へ。大原の癒やしは地形にも関係がある。大原の盆地は町を流れる高野川の浸食によってできた。惟喬親王のお墓がある。東側の山には断層が通っていたため若狭街道ができて重宝された。静かな山里だけでなく人や物もほどよく行き交う過ごしやすい場所になった。さらに癒やしのキーパーソンが平徳子。建礼門院の名でも知られている。壇ノ浦の戦いで全てを失った建礼門院が身を寄せた場所が大原でした。
タモリさんは三千院近くの山道へ。建礼門院ゆかりの癒やしの文化とはしば漬け。建礼門院が名付けたと言われている。特別に樽から出したてのしば漬けをいただいた。大原のしば漬けには秘密がある。大原の赤じそに多く含まれる香り成分ペリルアルデヒドはリラックス効果がある。水はけや露の条件のほかに山で囲まれていると花粉の飛来が少なく交雑しにくい。また代々自家採種した種を大原以外に持ち出さないようにして原種を厳守してきた。
大原の西側の田園地帯へ。農村から生まれた建礼門院ゆかりの癒やし文化とは大原女の格好。建礼門院にお仕えした女性が山仕事に励む際の格好を大原の女性がまねしたという。見た目のかわいらしさと働きやすさの両方を兼ね備えていました。葛飾北斎の浮世絵にも描かれている。可愛らしい衣装に身を包み柴を売り歩いた大原女は都の日常となり癒やしの風景として親しまれていた。
タモリさんは大原の西側の山際へ。建礼門院が身を寄せた寂光院がある。この静かな寺でどんな思いで過ごしていたんでしょう。5畳半くらいの狭い所に住まわれていた。平家物語に描かれている建礼門院はお花を摘んでいる姿で平穏な暮らしをしていたことがわかる。栄枯盛衰の壮絶な人生を歩んだ建礼門院の心さえも前向きにしたのが癒しの里・大原で大原ならではの環境と人々の温かさがあった。寂光院のご本尊と本堂は22年前火災に見舞われて再建されたもの。奇跡的に焼け残ったご本尊を見せていただいた。さらに旧ご本尊の胎内から3,416体もの小さな仏像が出てきました。最後にタモリさんは「癒やしという言葉はあんまり使いたくないんだけども今回はなるほどなと思いまいした」などと話した。

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