平成元年7月、大谷のもとに、橋本の容態が急変したとの連絡が入った。病院に駆けつけると橋本は体中に紫のアザができ脳内出血の危機が迫っていた。提供者を探すと1人の人が一致。その人は大垣市役所の職員、40歳の田中重勝だった。田中の父は村の世話役を務めた人で「人の役にたて」というのが口癖だった。田中は2人の息子に移植を伝えると、眩しそうに自分を見てくれたという。9月13日、移植の日。田中は橋本と顔を合わせないように5km離れた病院に入った。骨髄は取り出され、すぐに移植が始まった。新たな骨髄が元気な血を作り始めた。移植は無事成功。橋本は自分の体が蘇るのを感じたという。