2024年10月5日放送 8:15 - 9:00 NHK総合

新プロジェクトX〜挑戦者たち〜
旧作アンコール 決断命の一滴 骨髄バンク

出演者
国井雅比古 膳場貴子 大谷貴子 森島泰雄 田中重勝 
(オープニング)
白血病 少女の切なる願い

骨髄バンクのドナー登録。白血病など血液の病気の治療を支えている。登録者の負担を減らす新たな手法として検討されているのが、口内の粘膜を採取する方法。オンラインで登録できるシステムも導入予定。しかしかつて日本にはドナー登録のシステム事態がなかった。白血病にかかった一人の少女の切なる願いから始まった。園上さおりは突然、白血病に襲われた。これは日本初の骨髄バンクに挑んだ人の命と勇気のドラマ。

キーワード
原宿(東京)浜松(静岡)白血病
オープニング

オープニング映像。

オープニングトーク

白血病は血液のがん。ある日突然、若い人も子供もかかる原因不明の病気。血液は骨髄で作られている。この骨髄ががんに侵されると正常に血液が作られなくなる。それが白血病。そこで健康な人の血液を移植することによって再び血液を作っていこうというのが骨髄移植。移植に適した相手を探す場合、適合するのは数千分の1の確率。

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白血病
決断 命の一滴 ~白血病・日本初の骨髄バンク~
決断 命の一滴 ~白血病・日本初の骨髄バンク~

昭和59年、春の宮島で1人の修学旅行生が土産物を探していた。それが12歳の園上さおりだった。さおりは両親にお父さん、お母さんと書かれたぐい呑みをお土産を買った。中学にはいったさおりは軟式テニス部に入部。ある日、目眩がしコートにしゃがみこんだ。母とさおりは病院で検査。医師は母だけに白血病だと告げた。大学病院に入り、母はさおりに貧血だと伝えた。ここで、さおりは当時大学院生だった大谷貴子と出会った。大谷は英語講師の就職先が決まった矢先に白血病と宣告された。さおりは大谷に英語を教えてと言った。教師の道を諦めた大谷、さおりは大事な教え子となった。その頃、さおりの両親は思い問題を突きつけられた。さおりが助かる道は骨髄移植しかなかった。大谷は母親と骨髄が一致、名古屋大学附属病院で骨髄移植を受けた。その矢先、さおりの病状が急変した。お母さんありがとうとつぶやき、3日後、さおりは亡くなった。15歳だった。ある日、両親のもとに、さおりが書いた作文が届いた。そこには「ふつうの高校生になって、ふつうのお嫁さんになって、ふつうのお母さんになって、ふつうのおばあさんになって、ふつうに死にたい」と書かれていた。大谷はさおりの母から作文を渡された。作文を読み大谷は、移植を担当した医師・森島泰雄のもとに向かった。大谷は森島に「15歳の命が奪われた。こんな思いは二度としたくない」と訴えた。大谷と森島は骨髄バンクのプロジェクトを作るため知り合いを回った。その熱意にサラリーマンや主婦などが加わった。目指すは10万人の骨髄バンク。

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名古屋大学医学部附属病院夏目雅子白血病
スタジオトーク

骨髄移植は腰骨から骨髄を取り出し移植する。さおりちゃんが亡くなったときの気持ちについて大谷貴子は「亡くなった悲しさと、自分が生きてることが申し訳ない。私が落ち込んでると笑いをとって励ましてくれる」などと話した。

決断 命の一滴 ~白血病・日本初の骨髄バンク~

昭和63年8月、プロジェクトは街頭で登録者を募り始めた。しかし「家族ならともかく赤の他人でしょ」などといった声が帰ってきた。大谷たちは厚生省を訪ねたが「健康な人の体を傷つける医療を国民が認めるか」と言われてしまった。森島泰雄はどれだけの痛みを伴うか、正直に話してわかってもらおうとした。昭和63年9月、初めての説明会が行われた。そこにすがる思いできていたのが橋本和浩だった。橋本は大手生命保険会社に務めていたが4ヶ月前、会社の診断で白血病と診断されてしまった。説明会で園上さおりの「ふつうのお嫁さんになって、ふつうのお母さんになって」という作文を読むと会場は静まり返った。橋本は、大谷に私も患者ですと声をかけた。会が終わると100人もが骨髄の提供者として協力すると並んでいた。しかし資金が底をつくという問題が起きた。骨髄の型を調べる検査は72種類もの薬品を使い1人につき2万円かかった。会計担の三品雅義は必死で金集めに走った。その頃、大谷の元に1通の封筒が届いた。中には20万円と手紙があった。手紙には「7歳になる息子が白血病で亡くなりました。香典の一部です役に立てて下さい」と書かれていた。大谷がお礼に行くと仏壇の横に真新しいランドセルが置いてあった。

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厚生省園上さおり大阪大学白血病

平成元年4月、骨髄バンクの登録者は400人になり、患者と提供者の照合が始まった。1組が一致した。医師の北折健次郎は提供者に会いに行った。相手は40代の男性。妻もいて「もしものことがあったらどう責任を?」と言われ断られた。その後も型が一致した提供者たちは「あのときは軽く考えていた」と言い放った。

スタジオトーク

大谷貴子は「街頭で呼びかけをすると、そこまでして助かりたいの?っていう人もいた。うちは関係ないっていうのが多かった」などと話した。森島泰雄は「ありのままを説明することが一番大事だと思っていた」などと話した。

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白血病
決断 命の一滴 ~白血病・日本初の骨髄バンク~

平成元年7月、大谷のもとに、橋本の容態が急変したとの連絡が入った。病院に駆けつけると橋本は体中に紫のアザができ脳内出血の危機が迫っていた。提供者を探すと1人の人が一致。その人は大垣市役所の職員、40歳の田中重勝だった。田中の父は村の世話役を務めた人で「人の役にたて」というのが口癖だった。田中は2人の息子に移植を伝えると、眩しそうに自分を見てくれたという。9月13日、移植の日。田中は橋本と顔を合わせないように5km離れた病院に入った。骨髄は取り出され、すぐに移植が始まった。新たな骨髄が元気な血を作り始めた。移植は無事成功。橋本は自分の体が蘇るのを感じたという。

キーワード
大垣市役所岐阜県
スタジオトーク

移植の成功について大谷貴子は「さおりちゃんが後ろを押してくれていた。ようやく動き出した。」などと話した。スタジオに骨髄を提供した田中重勝さんが登場。田中重勝は「こんな私が人の命を助けられたという喜びでいっぱいだった。傷跡は13の星で汚いお尻で輝いている」などと話した。

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白血病
決断 命の一滴 ~白血病・日本初の骨髄バンク~

大谷貴子さんたちは、その後も国の骨髄バンク設立を求め続けた。ある日、500人の署名が届いた。集めたのは、さおりさんの両親だった。橋本和浩さんはサラリーマン生活の復帰を果たした。骨髄バンクを知ってもらうため、移植を受けたこと白血病だったことを公表した。田中重勝さんはその記事をみた。平成9年9月20日、骨髄バンクの集会が開かれ、橋本和浩さんと田中重勝さんは初めて出会い、握手をした。骨髄バンクは、全ては1人の少女の切なる願いから始まった。

(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

命のバトンを受け継いで

全国各地で署名活動が繰り広げられ1991年、骨髄移植推進財団が設立された。これまで移植を受けたのは5万人以上。骨髄移植以外の方法も増えている。高校生から7年間、白血病で闘病していた遠藤颯さんは、ドナーの腕などから採取した血液の必要な細胞だけを移植する末梢血幹細胞移植を受け完治。今は空手の指導者になり自身の経験を伝えている。3人の娘の子育てを楽しんでいる最中に白血病を発症した星野智子さん。臍帯血移植を受け回復した。次は誰かの力になりたいと骨髄バンクのボランティアに参加している。

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白血病骨髄移植推進財団
次回予告

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