2024年9月21日放送 8:15 - 9:00 NHK総合

新プロジェクトX〜挑戦者たち〜
新プロジェクトX 世界最長 悲願のつり橋に挑む〜明石海峡大橋40年の闘い〜

出演者
有馬嘉男 森花子 三田村武 穐山正幸 古田富保 
(オープニング)
世界最長 悲願のつり橋に挑む 明石海峡大橋40年の闘い

1940年、アメリカで技術の粋を集めた吊り橋「タコマナローズ橋」が作られた。全長1600mは当時世界第3位。しかし風にあおられた橋は激しく揺さぶられ崩壊した。それから17年、吊り橋技術に遅れた日本で、世界一の吊り橋を夢見るものが現れた。長さ4000m、この長さの挑戦は20世紀最後の大工事と呼ばれることになる。世界一の吊り橋建設に挑んだものたちの知られざる物語。

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タコマナローズ橋
オープニング

オープニング映像。

オープニングトーク

有馬嘉男と森花子が今回の舞台、明石海峡大橋の主塔の頂上にやって来た。明石海峡大橋は全長3911mの吊り橋。レインボーブリッジが5つ入る長さだという。明石海峡大橋が出来る前、淡路島から本州にやってくるには明石海峡を船で渡るしかなかった。

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明石海峡大橋東京港連絡橋淡路島神戸(兵庫)
世界最長 悲願のつり橋に挑む 明石海峡大橋40年の闘い
悲願のつり橋に挑む 明石海峡大橋40年の闘い

明石海峡大橋は地元の人たちにとって悲願だった。1957年、戦後の焼け野原から復興した神戸。この日市議会は市長の大風呂敷を巡り紛糾していた。神戸市長・原口忠次郎は「今こそ神戸と四国を橋で結び陸続きにすべきだ」と訴えた。戦争前内務省に勤めていた原口は四国で見た厳しい暮らしが忘れられなかった。交通網の整備は遅れ、豊かな物産を阪神地方に大量輸送するすべがない。そして本州へ渡る連絡船では難破事故が起き多くの命が失われていた。これ以上悲劇を放置してはおけない、橋の建設は阪神地方にも恩恵があると原口は訴えた。しかし原口の提案を真に受ける者はなかった。四国から淡路島を経由して神戸へつなぐルート。しかし明石海峡が問題だった。4キロにわたる明石海峡は激しい潮流で知られ海中工事は至難の業。水深も深いため、つり橋でしか越えられない。だが世界を見渡してもそれほど長いつり橋などない。4年後、淡路島が悲劇に見舞われた。第2室戸台風が直撃、避難しようにも橋はなく犠牲者が出た。そのとき淡路島に住んでいた穐山正幸。復旧工事を指揮する父の疲弊した顔に橋がない島の悲しさを思った。神戸市長の原口は蹴られても蹴られても国への陳情を続けていた。さらに毎月発行したのが「調査月報」。海外の最新のつり橋技術を翻訳し関係するメーカーに配り続けた。しかし構想から16年、1度は動きかけた橋の建設はオイルショックで頓挫。原口は着工を待たずに亡くなってしまった。「橋の見える場所に葬ってほしい」というのが遺言だった。

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原口忠次郎明石海峡大橋神戸製鋼所第二室戸台風

ちょうどそのころ神戸に本社を置く神戸製鋼に仕事に身が入らない新入社員がいた。それがかつて淡路島で台風に遭った穐山正幸だった。神戸製鋼を選んだのは家から近いから。入社3年目、生意気な言動がたたり異動を命じられた。放り込まれたのは会社でも異色のつり橋の部署だった。鋼鉄のケーブルをつくるだけでなく工事の方法から考案する部署だった。上司は三田村武。三田村はかつて米国でゴールデンゲートブリッジを見た。偶然にも自分が生まれた1937年に建設されたという事実が印象深かったという。三田村「読んでおけ」と穐山に原口のもとで作られた「調査月報」を渡した。調査月報はつり橋技術を学べる唯一無二の教材だった。定時に帰っていた穐山が休み時間までむさぼり読むようになった。ある日現場に出た。しかし三田村は課題を伝えるとどこかに行ってしまう。必死で答えを考えるが三田村の指摘は的確。「あかんやん」と突き返された。三田村の勉強量は計り知れない。あの「あかんやん」をいつか封じてみせたいと穐山は思った。10年の時が流れた。いつしか師匠と弟子の間柄になった三田村と穐山に待望のニュースが飛び込んだ。構想から30年、明石海峡大橋の建設がついに動きだす。三田村と穐山世界一のつり橋への挑戦が始まった。

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スタジオトーク

上司の三田村について穐山正幸は「すばらしい技術やさん。逃げないししつこい。初めてお会いする人に三田村さんのとこの子か。なら話を聞いてあげようって感じで。どれだけ人望があったんだろうと感じた」などと話した。

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明石海峡大橋
悲願のつり橋に挑む 明石海峡大橋40年の闘い

明石海峡大橋の建設に向けて新日鉄と神戸製鋼で強力なワイヤーが開発された。ただし重さ9万トンの橋桁をつり下げるにはこのワイヤーを3万7000本束ねる必要があった。この大量のワイヤーをどうやって4キロの海峡に架けるか。これまで100年、ワイヤーは数本ずつ渡しては人力で束ねる工法が主流だった。三田村はこれまでの橋で日本独自の技術を磨いてきた。専用の設備でワイヤーを100本ほどにあらかじめ束ねておく方法。ワイヤーを束で扱えれば作業効率は一気にはね上がる。三田村は穐山にこの技術で明石を架けられるか実験しておくよう言いつけた。束ねたワイヤーを引き出すと3000m過ぎ、ワイヤーに謎のたるみが現れ、束がバラバラになった。三田村に報告したが「問題点が分かったな」とだけ返ってきた。

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明石海峡では主塔の工事が着々と進んでいた。この橋の構想が持ち上がってから30年。計画が頓挫した間もいつか明石をやる日に備え、多くの技術者が関門橋や瀬戸大橋で腕を磨いてきた。その一人、ケーブル架設の現場監督を担当した古田富保37歳。父は神戸、母は淡路島の生まれ。明石海峡に隔てられた恋を成就させるため苦労したことを聞かされて育った。地元の海岸にはあの原口の構想を受け風速を測る観測塔が建てられていた。家族の願いをかなえたくて橋の技術者になった。工事の段取りを考え抜いていた。1993年、いよいよケーブルを渡す工事が始まった。つり橋建設はまず、船を使ってパイロットロープと呼ばれる細いロープを渡すことから始まる。1日1500隻が行き交う明石海峡では海を横切らせることができず世界でも例のない方法がとられた。ヘリコプターによる空中架設だった。海峡独特の風と闘う危険な任務を依頼されたのは浅倉豊紀、当時44歳。第一線を退く年齢にさしかかっていた。パイロット人生最後の大仕事だと浅倉は引き受けた。朝8時、浅倉が飛び立った。塔の上ではとびたちが待ち構えていた。10分後、浅倉がもう一方の主塔に到達、明石海峡についに一本のロープが張り渡された。穐山は、この日のために実験と準備を重ねてきた。無事4000メートルを渡しきった。しかしその直後、阪神・淡路大震災が発生した。

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スタジオトーク

古田富保は「石海峡大橋は夢の架け橋だから。これをかけないととても大変なんだって、小さい頃からしょっちゅう聞かされてた」などと話した。

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悲願のつり橋に挑む 明石海峡大橋40年の闘い

明石海峡大橋の建設を続けられるのか、重い判断を担ったのは本四公団である技術課長の大江慎一だった。被害調査の結果、海峡の幅がなんと1メートル伸びていた。しかし最も心配された300メートルの主塔は40センチ傾いただけで安全な範囲に収まっていた。1か月後、本四公団は工事再開を決断。この1か月、明石の関係者は神戸市内の復旧工事に当たっていた。その作業を全国からの応援者に引き継ぎ再びメンバーは明石の現場に集まった。現場監督、古田も明石に戻ってきた。すぐに工事の段取りを工夫し始めた。ここから夏を過ぎると季節風が吹き潮流が激しくなる。その前に難しい作業を終えねば遅れが年単位に広がりかねない。勝負がかかった作戦があった。6月6日、潮の流れが穏やかになったのを見計らい作戦は決行された。古田が持ち出したのは巨大なクレーン船。橋桁と工事機材をまとめて運び搬送の日数を一気に短縮。橋桁をがっちり固定。巨大運搬作戦は計6回。天候が味方し1か月の遅れを取り戻した。そこからぐんぐん橋桁を延ばしていった。未曽有の巨大工事は10年の工期を見事に守って進んだ。建設中の死亡事故はゼロ。地震で伸びた1メートルを補うべく橋桁は設計変更、そして最後のピースが運ばれた。総重量9万トン世界最長の橋を穐山たちのケーブルはがっしりと支えた。1998年4月、橋の上はこの日を40年待ち続けた住民の笑顔で埋め尽くされた。

スタジオトーク

穐山正幸は「この橋に携われて自分自身も成長してきた。三田村さんのところで働けたのは幸せ。今思うと楽しかったし、いい仕事をさせてもらった」などと話した。

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明石海峡大橋
悲願のつり橋に挑む 明石海峡大橋40年の闘い

明石海峡大橋は今、年間1400万台の車が往来する大動脈となった。安全な物流が確保され四国の恵みはわずか2時間で阪神地方に届く。橋の完成後、三田村さんは神戸製鋼を退職。後輩たちの寄せ書きに穐山さんは「部下であり弟子であることを誇りに思い幸せに思っている」という言葉を寄せた。穐山さんと三田村さん、弟子と師匠の関係は続いている。古田富保さんは原口忠次郎欠さんの墓参りを毎日することが日課。原口忠次郎の墓は遺言どおり橋を見下ろす高台にある。橋のたもとには「人生すべからく夢なくしてはかないない」とい原口忠次郎。遺言どおり橋を見下ろす高台に眠っている。橋のたもとには「人生すべからく夢なくしてはかないない」という原口の言葉が刻まれている。

(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

次回予告

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