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「新日鐵」 のテレビ露出情報

明石海峡大橋の建設に向けて新日鉄と神戸製鋼で強力なワイヤーが開発された。ただし重さ9万トンの橋桁をつり下げるにはこのワイヤーを3万7000本束ねる必要があった。この大量のワイヤーをどうやって4キロの海峡に架けるか。これまで100年、ワイヤーは数本ずつ渡しては人力で束ねる工法が主流だった。三田村はこれまでの橋で日本独自の技術を磨いてきた。専用の設備でワイヤーを100本ほどにあらかじめ束ねておく方法。ワイヤーを束で扱えれば作業効率は一気にはね上がる。三田村は穐山にこの技術で明石を架けられるか実験しておくよう言いつけた。束ねたワイヤーを引き出すと3000m過ぎ、ワイヤーに謎のたるみが現れ、束がバラバラになった。三田村に報告したが「問題点が分かったな」とだけ返ってきた。
明石海峡では主塔の工事が着々と進んでいた。この橋の構想が持ち上がってから30年。計画が頓挫した間もいつか明石をやる日に備え、多くの技術者が関門橋や瀬戸大橋で腕を磨いてきた。その一人、ケーブル架設の現場監督を担当した古田富保37歳。父は神戸、母は淡路島の生まれ。明石海峡に隔てられた恋を成就させるため苦労したことを聞かされて育った。地元の海岸にはあの原口の構想を受け風速を測る観測塔が建てられていた。家族の願いをかなえたくて橋の技術者になった。工事の段取りを考え抜いていた。1993年、いよいよケーブルを渡す工事が始まった。つり橋建設はまず、船を使ってパイロットロープと呼ばれる細いロープを渡すことから始まる。1日1500隻が行き交う明石海峡では海を横切らせることができず世界でも例のない方法がとられた。ヘリコプターによる空中架設だった。海峡独特の風と闘う危険な任務を依頼されたのは浅倉豊紀、当時44歳。第一線を退く年齢にさしかかっていた。パイロット人生最後の大仕事だと浅倉は引き受けた。朝8時、浅倉が飛び立った。塔の上ではとびたちが待ち構えていた。10分後、浅倉がもう一方の主塔に到達、明石海峡についに一本のロープが張り渡された。穐山は、この日のために実験と準備を重ねてきた。無事4000メートルを渡しきった。しかしその直後、阪神・淡路大震災が発生した。
住所: 東京都千代田区丸の内2-6-1
URL: http://www.nsc.co.jp/

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年10月21日放送 1:35 - 2:24 NHK総合
栗山英樹 ザ・トップインタビュー(栗山英樹 ザ・トップインタビュー)
日本製鉄の橋本会長に栗山がインタビュー。就任した2019年は国内の主幹事業で赤字だった日本製鉄。就任を打診され即答はできなかったが、考えた末に「自分の責務」と感じて決意したんだそう。会社が不調だった理由を「現状に甘んじていた」など指摘。もともと大きな会社同士が合併した経緯から、社員も危機感を失っていたと分析。2019年には過去最大となる4300億円の赤字に。[…続きを読む]

2024年7月24日放送 5:20 - 8:00 TBS
THE TIME,(ニュース)
日本製鉄は23日、中国の鉄鋼メーカー宝山鋼鉄と行っていた主に日系自動車メーカー向けの鋼板製造販売などの合弁事業を解消すると発表した。中国でのEV普及に伴い日系メーカーは苦戦をしていて、20年間の合弁契約の期限を控え撤退を判断したとみられる。日本製鉄は新日鉄だった1970年代に日中経済協力の柱として、宝山鋼鉄の製鉄所づくりを支援するなど鉄鋼産業の近代化に大きな[…続きを読む]

2024年4月13日放送 19:30 - 20:15 NHK総合
新プロジェクトX〜挑戦者たち〜弱小タッグが世界を変えた〜カメラ付き携帯 反骨の逆転劇〜
1990年代、携帯電話サービスが始まり、NTTを筆頭に市場争いは熾烈を極めた。そんな中競争に出遅れ、最後尾から市場に滑り込んだ東京デジタルホン、後のJ-PHONE。JRや鉄鋼会社が出資して作った会社だったが、「電話が繋がらない」などとクレームが殺到、社内総出でお詫びする騒ぎになった。矢面に立たされた端末課は謝罪行脚するハメに。そもそも端末課の3人は素人集団だ[…続きを読む]

2024年4月6日放送 18:56 - 20:54 テレビ朝日
池上彰のニュースそうだったのか!!池上彰ニュース解説SP 世の中こんなに変わっていた!!
株の買い方はネットが主流だが、ネットがない時代は証券会社に行き口座開設と入金を行いラジオや新聞で情報収集し売り買いは店頭か電話での申し込みだった。東京証券取引所には2000人ほどの証券マンたちが集まり手のサインで情報伝達し売買を行っていた。

2023年12月15日放送 16:05 - 16:56 NHK総合
NHK特集ノーサイドの笛は鳴った
12月、グランドでは最後の調整が行われていた。12月25日、ラグビー日本選手権が始まった。準決勝まで、全て相手に先行されてしまった。瀬川清は膝のケガで退場。森は脳震盪を起こし退場となった。1月15日、ラグビー部は明治大学と対戦。新日鉄釜石ラグビー部は見事、4連覇を達成した。

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