2024年9月21日放送 20:00 - 20:45 NHK総合

新プロジェクトX〜挑戦者たち〜
小惑星探査機はやぶさ 奇跡の地球帰還

出演者
有馬嘉男 森花子 川口淳一郎 國中均 
(オープニング)
小惑星探査機はやぶさ 奇跡の地球帰還

小惑星探査機はやぶさは小惑星「イトカワ」に着陸し砂を採取。7年の時を経て地球に期間。小惑星の砂が入ったカプセルを届けた。これは日本の未来を背負った研究者たちが3億キロの彼方でお越した奇跡きの物語。

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イトカワ小惑星探査機はやぶさ
オープニング

オープニング映像。

オープニングトーク

小惑星探査機はやぶさはソーラーパネルで電気を作り特別なエンジンを動かして3億キロ彼方を目指した。小惑星に着陸後、砂を採取して地球に持ち帰るというサンプルリターンに挑んだ。

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イトカワ小惑星探査機はやぶさ
小惑星探査機はやぶさ 奇跡の地球帰還
小惑星探査機はやぶさ 奇跡の地球帰還

1981年、アメリカNASAはスペースシャトル「コロンビア」を打ち上げた。人を乗せたシャトルで宇宙と地球を飛行機のように往復する。そのころ日本は無人の小型ロケットを打ち上げていた。皆が沸き立つ中一人笑顔になりきれない男がいた。JAXAの前身、宇宙科学研究所の川口淳一郎はNASAとの差が悔しかった。日本が存在感を示すすべを必死で考えた川口。NASAに合同勉強会を持ちかけある計画「小惑星ランデブー」をプレゼン。小惑星とは長さが数十メートルから数百キロの小さな天体。その多くが火星と木星の間に散らばっている。この小惑星と同じ軌道を飛行し速度を合わせ接近、映像や電波で観測する。小惑星では重力が小さいため探査機のコントロールが難しい。技術を一緒に開発しようと持ちかけた。しかし8回目の勉強会で予想だにしない言葉「小惑星ランデブーはNASAだけでやる」と言われた。アイデアが取られたと思った川口。予算が10倍以上のNASAに「それならわれわれはサンプルリターンをやります」と啖呵を切った。小惑星に着陸しその砂を採取して地球に持ち帰る。ランデブーよりもはるかに難易度の高い計画だった。NASAは日本にできるはずはないと思っていた。

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すいせいアメリカ航空宇宙局コロンビア号ジェット推進研究所

人と同じことはしたくない川口。あまのじゃくな性格は筋金入りだった。生まれ育ったのは青森・弘前市。中学時代の化学実験では決められた手順で行うのを嫌い独自のやり方をして危険な目に遭った。高校時代の体育の授業でも周囲をざわつかせた。NASAで啖呵を切った川口は日本に帰るとメンバーを集めて検討を始めた。一番の難題はエンジンだと思った。3億キロかなたの小惑星にたどりつき帰ってくるのには少なくとも4年はかかる。従来の化学エンジンとは異なる燃費のよいエンジンが必要だった。難題解決のキーマンとなったのはエンジン開発・國中均。ある新しいエンジン「イオンエンジン」を研究していた。燃料から生成したプラスイオンに電圧をかけマイナス電子とあわせて放出することで探査機を飛ばす。燃費は従来のエンジンよりも10倍よかった。しかしイオンエンジンはまだ宇宙での長旅に使えるレベルではなかった。

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アメリカ航空宇宙局弘前市(青森)

1996年、国から正式に予算がおり小惑星サンプルリターンプロジェクトがスタート。エンジンや通信技術など30の専門領域に民間企業含め500人以上が参加することになった。リーダーの川口はエンジンのチームに小惑星との往復の目安となる1万4000時間の耐久性を求めが國中たちはまだ150時間しか達成していなかった。エンジンチームに加入したNECの技術者、堀内康男は「正直キツイなと思った」などと話した。國中は研究室に泊まり込んで解決策を探った。問題は150時間を超えるとマイナスの電子を発生させる機器の内部が溶け始めることだった。部品の形や配置を変え試行錯誤を重ね、設計変更は10度にも及んだ。ついに内部が溶けない構造を見つけ出した。國中は1000時間毎に1枚のシールを貼っていった。耐久試験の日、川口の要求を超える1万8000時間を達成。NASAに啖呵を切った日から11年、日本の科学技術の威信をかけた小惑星探査機が完成した。

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日本電気
スタジオトーク

NASAはそんなに上から目線だったんですか?という質問に川口淳一郎は「日本は地球の周りを回っている軌道から何かを回収したことは一度もない。それもできていないのに決められたとこに落として、資料を取り出そうと言ってるんだから、実力もないのにっていうのが世界のみかた」などと話した。イオンエンジンは24時間、年中無休で4年運転していた。最初の3か月はまともに動かなかったという。

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アメリカ航空宇宙局
小惑星探査機はやぶさ 奇跡の地球帰還

2003年5月、日本の夢をのせた探査機が3億キロのかなたに向かって発射された。打ち上げロケットから切り離されると探査機が姿を現した。高さ3m、横幅6m。太陽光パネルで発電し地上との通信で遠隔操作できる探査ロボットは「はやぶさ」と名付けられた。獲物に狙いを定めて確実にしとめるハヤブサのように小惑星から砂を持ち帰ってほしいという願いが込められていた。はやぶさをコントロールして小惑星へと導くのは30人からなる運用チーム。現在地を観測し予定の軌道からずれていれば機体の向きなどを修正するプログラムを送る。チームの若手、津田雄一は「すごい大きな責任を任せられたという感覚だった」。打ち上げから2年4か月、はやぶさから待ちに待った写真が送られてきた。小惑星イトカワ、写真を分析すると540mほどの大きさだった。ここからが最大のミッション。それはイトカワに着陸して砂を持ち帰ること。そのための新たな仕組みを開発していた。弾丸を発射し砂を舞い上げて保管用のカプセルに格納する。開発をけん引した一人、矢野創は大きな責任を感じていた。イトカワは重力がほとんどないため着陸する姿勢のコントロールが難しい。矢野たちは最適な場所を50日間かけて検討した。

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イトカワ小惑星探査機はやぶさ

2005年11月20日、勝負の日。はやぶさは1秒で数センチというスピードで慎重に降りていく。しかし高度計がマイナスになり地中に潜っていくかのような異常なグラフが現れた。川口は機体を上昇させる緊急指令を送るよう指示。すぐに2回目の着陸を試みるか議論となった。「着陸に失敗して機体が損傷すればサンプルリターンどころか地球に戻ってこられなくなる」。しかし川口は2回目のチャレンジを決めた。2回目は無事に着陸直ちに離陸、しかし問題が起きた。砂を採取するための弾丸が発射されていなかった。さらに、はやぶさからの通信が途絶えた。着陸の影響で姿勢を制御する装置が破損したと考えられた。乱回転してソーラーパネルが太陽光を受けられず電力も消失した可能性が高い。当時遠い宇宙で通信が途絶えた探査機が見つかった例はない。メンバーたちは絶望のふちに立たされた。

スタジオトーク

通信が途絶えたことについて川口淳一郎は「最初は1~2日で戻るのかなと思っていた。1週間たっても戻らずこれは長期戦だなっておもった」などと話した。

小惑星探査機はやぶさ 奇跡の地球帰還

通信が途絶えて1か月、運用チームははやぶさを捜し続けていた。イトカワの方角に向けて信号を発信。しかし何度繰り返しても応答はなかった。川口は一瞬でも通信が復活する可能性を計算。バランスを失っていてもいつかはソーラーパネルが太陽の方向に向き電力が回復する時間があるはず。その時タイミングよく地球からの信号が届けば故障を逃れた装置を使って姿勢を立て直すことができる。「まだチャンスはある」と皆に伝えた。このころプロジェクトには全国からの応援メッセージが届くようになっていた。広報を手伝っていた大学院生の小野瀬直美と奥平恭子。はやぶさを少年に見立てた絵本を作りインターネットでも公開。絵本は宇宙に興味がなかった人や子供たちも引き付けた。津田たち運用チームははやぶさからの応答がないか電波波形を見続けた。通信が途絶えてから2か月後、管制室のモニターに変化があった。波形の中に1本大きな山が立っていた。しかし電波は微弱。川口たちは細い糸をたどるようにはやぶさに呼びかけた。1年後、ついにはやぶさは地球に向けて飛び立った。地球まであと半年で到達する位置まで近づいた頃だった。

國中のもとに管制室から「エンジンが不調」と電話が入った。寿命が来たとすぐに分かった。想定外の事態を乗り越えるためにここまでエンジンには過度な負担をかけていた。絶望的な状況に冷静なリーダーもさすがに落ち込んだ。はやぶさに搭載されていたイオンエンジンは4つ。そのほとんどが機能を失っていた。しかし國中には最後の一手があった。故障していない装置を組み合わせて使う“クロス運転”。國中は打ち上げ前非常事態に備えて離れた装置同士をつなぐ回路をひそかに仕込んでいた。宇宙空間での実績は皆無だが他に手だてはなかった。クロス運転の指令を送信、勢いよくエンジンが駆動した。2010年6月、旅立ちから7年の時を経てはやぶさは地球に帰ってきた。砂を格納するカプセルを切り離した。はやぶさの最後はインターネットで配信され63万人が見守った。

スタジオトーク

川口淳一郎は「はやぶさはこちらの期待以上に応えてくれているって感じが正直なところ」などと話した。國中均は「みんな、はやぶさ君って呼んでたし、僕にとっては我々の船。はやぶさが帰ってきたからはガラッと変わった。日本の惑星探索の領域における信頼感。プレゼンス、存在感はほんとうにうなぎのぼりになった」などと話した。

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宇宙航空研究開発機構小惑星探査機はやぶさ
小惑星探査機はやぶさ 奇跡の地球帰還

はやぶさが燃え尽きたあと小さな一筋の光が残った。切り離したカプセルだった。落下場所はオーストラリアの砂漠で翌日、無事に発見された。カプセルには着陸の衝撃で舞い上がった砂の微粒子が入っていた。太陽系の誕生、さらには生命誕生の謎に迫る貴重なサンプルとなった。イオンエンジンの開発を率いた國中均は、妻がはやぶさの記事を集めていたことを初めて知った。全く実績のない研究に挑み「ごくつぶし」と言われた日々。それでも挑み続けることの大切さをこの記事が思い出させてくれる。リーダーの川口淳一郎。実ははやぶさの帰還前から仲間たちと次の探査機の構想を練っていた。若手たちに託した志がある。川口淳一郎は「自分たちもできるよ思って欲しい」などと話した。2014年、JAXAは「小惑星探査機はやぶさ2」を打ち上げ。そして弾丸発射によるサンプルリターンを完璧にやり遂げた。今JAXAでは火星の衛星に着陸し砂を持ち帰る人類初のプロジェクトも進んでいる。せん光となって散ったはやぶさの遺志は受け継がれている。

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Martian Moons eXplorationはやぶさ2アメリカ航空宇宙局オーストラリア宇宙航空研究開発機構小惑星探査機はやぶさ
(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

次回予告

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