東日本大震災から13年、死者1万9775人、行方不明者2550人。県外避難者は2万人を超えていて、その大半が福島県。その理由は帰還困難区域。今も廃炉作業が続く福島第一原発から約3.5キロにある旧大熊町立熊町小学校。今も許可なく立ち入ることができない中、先月当時の児童らに開放された。13年ぶりの再会だが、教室はあの日のまま。当時小学4年生だった志賀俊希さんは下校準備中に地震が発生し、すぐに教室から出た。地震発生から50分後、福島第一原発に津波がきて翌日町をあとにした。志賀さんはその後、福島県内で避難生活を贈っていたが、町の復興に貢献したいという思いから大熊町役場に就職。おととし、大熊町で避難指示が解除された中心部は人がいなくなり、建物もなくなった。総合病院も閉ざされたまま。現在、コンビニや飲食店などが入る商業施設が建設中。3年前に大熊町に戻り、喫茶店を再開した武内さんは生活インフラが整わないことが帰還を阻む大きな理由だと考える。