「豊臣家滅亡のきっかけをつくったのは?」とクイズが出た。正解は「お寺の鐘」。1614年、鐘に刻まれた文字が原因で豊臣家と奥川家の対立が深まる事件が起こった。「国家安康」が家康という字を切り開いていて、「君臣豊楽」が豊臣を君として楽しむと読めるという話になった。事業の責任者だった且元は弁明しようと家康のもとに向かうがうまくいかなかった。徳川家との和解のための3つの提案を秀頼たちに示した。淀殿や豊臣側の側近たちは且元が示した提案を拒否。且元は豊臣家を裏切ったとして大阪城を負われた。1615年、大坂夏の陣で淀殿・秀頼が自害し豊臣家が滅亡。家康も何度もチャンスを与えていたが豊臣方がずっと拒否していたのだはないかという。豊臣家滅亡から20日後、且元も京都で病死。
