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「宇野榮一さん」 のテレビ露出情報

女性たちが両手にバケツを持って走っている写真を紹介。戦時下の83年前に東京で行われた大会で撮影され、空襲などに備える消火活動を取り入れた競技だとみられている。こうした戦時下のスポーツについて紹介する展示が、戦後80年の節目となる今年、滋賀県で開かれている。展示品は地域の人たちなどの協力で集められてきた。その1人、90歳の中島伸男さんの思いを取材した。戦時中は小学生で、戦争の悲惨さを後世に伝えたいと協力したという。きっかけは市役所を退職後の60歳の時、市の広報の製作経験を見込まれ、県から戦争関連の遺品収集の依頼を受けたこと。遺品を集めるうちに、その背景を伝えたくなり、戦争体験者や遺族の思いも書き留めるようになった。5年余で629人を取材し、ノートは50冊以上になった。こうした男性の取材がもとになった展示がある。教員を要請する滋賀師範学校で学んでいた宇野榮一さんを紹介する展示。当時、宇野さんは蹴球部、サッカー部の選手だった。チームメイトなどから聞き取った時の中島さんのメモを紹介。昭和15年には明治神宮国民体育大会で選手として出場。チームは3位の好成績をおさめ、表彰された。宇野さんの教員免許状を紹介。大津市の小学校で教師になる予定だったが、別の道に進んだという。昭和20年4月、宇野さんは特攻作戦で出撃し、沖縄の海上で21歳で戦死した。中島さんは戦時下でスポーツや勉学に勤しみながらも、戦死した人たちがいたという記憶を伝えることが大切だと感じている。一方で今回の企画展では、中島さんの戦時中の記憶が呼び覚まされる展示があった。滋賀県内の小学校から提供された訓練用の手りゅう弾。重さは本物とほぼ同じで、体育の授業で飛距離を競っていたという。中学生だった兄の運動会で使われていたのを、中島さんは覚えていた。戦場を想定した模擬戦のような場面だったという。その時の思いは大きく変わった。中島さんは今回の展示から、今との違いを感じ取ってほしいという。企画展「戦時下の滋賀県民とスポーツ」は滋賀県平和祈念館で6月22日まで開かれている。

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