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「宣徳飛行場」 のテレビ露出情報

78年前のアジア太平洋戦争。当時日本の統治下にあった台湾からも多くの青年が日本人として戦った。台湾籍で元日本兵の呉正男さんは奥多摩にある慰霊碑を訪れた。有志により慰霊祭が開催されたのは2010年。呉さんは「日本の本州には慰霊碑はここだけしかない。僕が死んでいたら誰も拝んでくれなかったと感じる」と話す。
当時、日本の統治下にあった台湾。およそ21万人が参戦し少なくとも3万人が死亡した。呉さんは愛国少年として育ち日本に留学するも16歳で陸軍に志願。新設のグライダー部隊に配属された。しかし制空権を失った日本では訓練もできず宣徳飛行場に移る。1945年6月、兵士が招集され特攻への意志調査が実施された。志望・熱望・熱烈望の3項目があり、呉さんは熱烈望を付けたという。しかし先発隊から外れ8月5日に64人が飛び立つのを見送った。そしてそのまま北朝鮮で終戦を迎えることになった。その後、呉さんは南の38度線を目指す途中にソ連兵に捉えられ抑留。
呉さんが収容されたカザフスタン・クズオルダ。現地に関する資料がほとんど見つからない中、クズオルダの収容所にいたという元日本兵の語り書を見つけた。抑留した父の足跡を訪ねて情報収集している安永さんと片渕さん。7年前には収容所を探すためクズオルダを訪問したが場所が特定できなかったという。呉さんは1981年の報道特集に出演した際には戦争体験を語り「死に対する悩み、戦争に対する疑問、こういうものを全然持たいないで行ったことに戦後悩んだ」と明かしている。ロシア側に残されていた呉さんの個人記録には大山正男の名前が記されており、日本名を名乗っていたことで日本行きの船に乗せられた。

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