富士山というワードは学校の教科書にも登場し、国民の愛国心養成に貢献した。明治時代、欧米諸国と渡り合うには天皇を中心に国を1つにまとめる必要があり、富士山が大いに利用されることとなった。日中戦争が勃発した昭和、国民の戦意を高揚させるシンボルとして富士山が担ぎ上げられた。1941年、亀井文夫という映画監督が富士山に関する映画を手掛けた後、特高警察によって逮捕された。科学的見地から富士山を解説した内容で、特高は富士山の神聖性を侵すものと判断したのかもしれない。太平洋戦争で敗色濃厚となるなか、富士山が日本を勝利に導くという悪しき考えがメディアを通して広まってしまう。