2000年交通事故の数は増え続けていた。他社は危険を察知するレーダーや衝撃できつく閉まるシートベルトなど新技術を発表していた。富士重工業も運転支援システムのプロジェクトを強化。メンバーは20人を超えた。紺野は部長に昇進。次のリーダーに名乗り出たのは柴田だった。開発担当の十川能之はカメラを改良。様々な道路環境を認識させた。柴田はあらゆる危険を察知してドライバーに知らせようと考えた。2003年、車線逸脱警報や路面凍結警告など8つの機能を盛り込み、売り出した。搭載価格は70万円。しかし285台しか売れなかった。警報を促してもあとの操作はドライバー次第だった。次々に部品の故障が発生しクレームが殺到した。柴田は自ら客の元に謝罪に向かった。その時、客から「この機能がないと困る」と言われた。たくさんの人が使ってくれれば必ず事故が減らせると希望が見えた。しかし2005年、富士重工業の経営が悪化。初めて700人規模のリストラをすることが決まった。社内では柴田たちのシステムが槍玉にあたった。こんなシステムはいらないと開発予算は20分の1に下げられ、メンバーの削減も決まった。十川もチームを去ることになった。柴田は上司の紺野に「これから俺はどうすれいいんですか?」と叫んだ。すると紺野は「それをお前が考えるんだ」と怒鳴った。このとき柴田の中で何かが変わったという。
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URL: http://www.fhi.co.jp
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