終戦後、間もなく要博さん・キヌコさんは夫婦となった。昭和26年には次男の由紀男が生まれ、後の要潤さんの父となる。結婚から7年後、キヌコさんが突然他界した。生前の母を知らない由紀男さんは、母のルーツを尋ねる。キヌコさんは母の小原アキエさん(潤さんからみたら曽祖母)から誕生し、戸籍に父の名前はなく、内縁の夫だったとのことで、位牌だけが残されていた。キヌコさんの父は遊び人と言われており、昭和10年、キヌコさんが7歳のときに病死。兄・姉は奉公に、幼い弟は養子に出され、キヌコさんだけがアキエさんのもとに残った。キヌコさんは、隣村の要家の跡取りの博さんに嫁ぎ、結婚後、酪農やみかん農家を始め、前向きになっていった。しかし、キヌコさんは足を滑らせて池に落ちて亡くなり、博さんは一人で6歳の兄・2歳の由紀男さんを育てることになった。