2024年3月13日放送 19:57 - 20:42 NHK総合

ファミリーヒストリー
俳優・要潤〜“遠大な夢”を追った家族たち〜

出演者
寺門亜衣子 今田耕司 要潤 
(オープニング)
初めて向き合う 家族の謎

俳優・要潤は両親への感謝を胸に23年間俳優を続けてきた。仮面ライダーG3役でデビューすると人気は上昇。故郷香川の顔としても活躍。ずっと気になっていたことが父の生い立ちや祖父母のことを聞いたことが無かったことだった。要潤は「家族の分からなかった部分が分かるというのは不安も交えつつも楽しみ」と話した。

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オープニング

オープニング映像。

要潤
故郷は香川 要家のルーツは?

父親のルーツをたどるため、要潤の両親を訪ねた。戸籍によると江戸後期の先祖は香川県綾歌郡松山村(現:坂出市)に暮らしていた。遠縁の要照雄さんが伝え聞いていたことがあった。照雄さんは「父の姉から先祖はもともと岡山の人やと聞いたんです」と話した。番組は県内外の要家70軒ほどに取材。すると新たな証言が浮上した。なんと高松城の石垣をつくるために岡山からやってきたというのだ。もともと高松城は瀬戸内海に面した日本最大級の海城。海沿いの脆弱な地盤に石垣を積むため腕のある職人が必要だったという。

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曽祖父の石探し 抱き続けたロマン

長い年月が経ち、明治24年に生まれたのが要潤の曽祖父萬二だった。農業の傍ら、石を探すことに並々ならぬ情熱を燃やし続けたという。萬二は旧石器時代の石器を城山という場所で発見、大きな話題となった。その後の暮らしを要本家、祖父の要吉則さん一家に尋ねた。萬二は男手一つで苦労しながらも石探しの夢を失わなかったという。

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戦場を生き抜いた 祖父の夢

そんな萬二を見て育った祖父博は自立心が強く柔道でも黒帯の逞しい青年だった。1940年山砲兵として中国へ出征。太平洋戦争、1944年のインパール作戦ではビルマから山岳地帯を行軍しインドにあるイギリス軍拠点を目指した。退却路は白骨街道と呼ばれたほどだった。そんな博を救ったのが一杯牛乳。ビルマの村人が分け与えてくれたのだった。昭和22年博は6年9カ月ぶりに故郷に戻った。結婚しその後牛を飼い始めた。自分の命を救ってくれた牛乳を多くの人に飲ませたいと思ったのだった。

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スタジオトーク

要さんは「こんなに活発でチャレンジ旺盛な人だったんだなあって。牛をやっていたのは、牛乳で生き延びたからなんだ。高松城にルーツがあるというのも嬉しい」などと話した。

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初めて知る 祖父母 激動の人生

終戦後、間もなく要博さん・キヌコさんは夫婦となった。昭和26年には次男の由紀男が生まれ、後の要潤さんの父となる。結婚から7年後、キヌコさんが突然他界した。生前の母を知らない由紀男さんは、母のルーツを尋ねる。キヌコさんは母の小原アキエさん(潤さんからみたら曽祖母)から誕生し、戸籍に父の名前はなく、内縁の夫だったとのことで、位牌だけが残されていた。キヌコさんの父は遊び人と言われており、昭和10年、キヌコさんが7歳のときに病死。兄・姉は奉公に、幼い弟は養子に出され、キヌコさんだけがアキエさんのもとに残った。キヌコさんは、隣村の要家の跡取りの博さんに嫁ぎ、結婚後、酪農やみかん農家を始め、前向きになっていった。しかし、キヌコさんは足を滑らせて池に落ちて亡くなり、博さんは一人で6歳の兄・2歳の由紀男さんを育てることになった。

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男手一つで子育て 祖父の苦悩と夢

要博さんは懸命に子ども2人を育てて、子どもたちを動揺させないため、再婚の話も断っていたという。また、どんなに忙してくも、みかん畑を広げ、牛を育てることを辞めなかった。

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父の青春 よみがえる祖父の言葉

博さんに育てられた由起男さんは、中学時代に野球を始め、工業高校に進学。卒業後、学校からの勧めで、エレベーターの補修会社に就職した。しかし、父の「遠大な夢を持て」という言葉を思い出し、自分のやりたいことを模索していた。そしてある時、テレビでプロゴルファーの尾崎将司さんを見て、会社を辞めて香川県のゴルフ場で働きながら、プロゴルファーを目指すことにした。

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要さんは「僕が知りたかった祖父母の存在がわかったからよかった。博さんは、ショックだったと思いますね」などと話した。

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要博
大人気講師の母 その魅力の源泉は?

要潤さんの母の多喜代さんは、25年間、料理作法の指導を続けている。生徒は常に50人を超えるほど慕われている。多喜代さんの父の浦川信一さんは、浚渫船の船長で、1年の半分以上日本各地を飛び回っていた。母の浦川伊津緒さんは夫の両親やきょうだいの世話、菊や葉タバコの栽培で働き倒しだった。

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母と父 運命の出会い

多喜代さんは高校卒業後、ゴルフ場に就職し、由起男さんと出会い、結婚した。昭和56年、次男の要潤さんが誕生。父親として温かい家庭を守ることが、由起男さんの新たな夢となる。30歳のとき、支配人を任され、プロゴルファーの夢を諦めたという。

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父の苦難を救った 母のぬくもり

90年代初頭、バブル経済が崩壊し、ゴルフ場の倒産が相次いだ。支配人だった由起男さんは人員削減を迫られ、ストレスで体調を崩すようになった。そんな由起男さんを、多喜代さんは支え続けた。要家にホームステイ経験のあるアメリカ人のデボラ・リウさんは「本当の家族のように愛情に満ちていた」などと話した。

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潤の青春時代 挫折と夢

要潤さんは、中学から始めた陸上競技に熱中し、オリンピックを目指せるほどの実力を持っていたという。しかし、インターハイのハードルレースで転倒して棄権となり、挫折した潤さんは俳優を目指し、高校卒業後すぐに上京した。

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要家で受け継がれる 夢追う精神

要潤さんはアルバイトを掛け持ちしながら、俳優オーディションを受け続けた。要さんは仮面ライダーアギトを始め、人気俳優となった。現在は、海外に認められる俳優を目指し、夢を追い続けている。

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要潤さんは「今知られてよかったです。母は今でもムードメーカーですね。自分のチャレンジ精神がどこから来ているのかと思ったけど、先祖から魂が脈々と受け継がれたのだと思います」などと話した。

祖父母への感謝

要潤さんの両親は、毎月祖父母の墓参りを欠かさず行なっているという。博さんの牛乳は、地元小学校に飲まれ、「たくさんの人の健康を支えたい」という夢を叶えた。息子の由起男さんも、アマチュアゴルフの大会に出るなどして、夢を追い続けている。また、由起男さんは、潤さんのファンサイトにも1人1人返信しているという。

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(エンディング)
ファミリーヒストリー

「ファミリーヒストリー」の番組宣伝。峰竜太さんの家族の歴史に迫る。

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