2003年5月、日本の夢をのせた探査機が3億キロのかなたに向かって発射された。打ち上げロケットから切り離されると探査機が姿を現した。高さ3m、横幅6m。太陽光パネルで発電し地上との通信で遠隔操作できる探査ロボットは「はやぶさ」と名付けられた。獲物に狙いを定めて確実にしとめるハヤブサのように小惑星から砂を持ち帰ってほしいという願いが込められていた。はやぶさをコントロールして小惑星へと導くのは30人からなる運用チーム。現在地を観測し予定の軌道からずれていれば機体の向きなどを修正するプログラムを送る。チームの若手、津田雄一は「すごい大きな責任を任せられたという感覚だった」。打ち上げから2年4か月、はやぶさから待ちに待った写真が送られてきた。小惑星イトカワ、写真を分析すると540mほどの大きさだった。ここからが最大のミッション。それはイトカワに着陸して砂を持ち帰ること。そのための新たな仕組みを開発していた。弾丸を発射し砂を舞い上げて保管用のカプセルに格納する。開発をけん引した一人、矢野創は大きな責任を感じていた。イトカワは重力がほとんどないため着陸する姿勢のコントロールが難しい。矢野たちは最適な場所を50日間かけて検討した。
2005年11月20日、勝負の日。はやぶさは1秒で数センチというスピードで慎重に降りていく。しかし高度計がマイナスになり地中に潜っていくかのような異常なグラフが現れた。川口は機体を上昇させる緊急指令を送るよう指示。すぐに2回目の着陸を試みるか議論となった。「着陸に失敗して機体が損傷すればサンプルリターンどころか地球に戻ってこられなくなる」。しかし川口は2回目のチャレンジを決めた。2回目は無事に着陸直ちに離陸、しかし問題が起きた。砂を採取するための弾丸が発射されていなかった。さらに、はやぶさからの通信が途絶えた。着陸の影響で姿勢を制御する装置が破損したと考えられた。乱回転してソーラーパネルが太陽光を受けられず電力も消失した可能性が高い。当時遠い宇宙で通信が途絶えた探査機が見つかった例はない。メンバーたちは絶望のふちに立たされた。
2005年11月20日、勝負の日。はやぶさは1秒で数センチというスピードで慎重に降りていく。しかし高度計がマイナスになり地中に潜っていくかのような異常なグラフが現れた。川口は機体を上昇させる緊急指令を送るよう指示。すぐに2回目の着陸を試みるか議論となった。「着陸に失敗して機体が損傷すればサンプルリターンどころか地球に戻ってこられなくなる」。しかし川口は2回目のチャレンジを決めた。2回目は無事に着陸直ちに離陸、しかし問題が起きた。砂を採取するための弾丸が発射されていなかった。さらに、はやぶさからの通信が途絶えた。着陸の影響で姿勢を制御する装置が破損したと考えられた。乱回転してソーラーパネルが太陽光を受けられず電力も消失した可能性が高い。当時遠い宇宙で通信が途絶えた探査機が見つかった例はない。メンバーたちは絶望のふちに立たされた。