風吹ジュンの母・ミサは、夫・小林章の母・つりゐと同居することに。2人の間には溝があった。その後、夫婦の間にも溝ができ、一緒に過ごす時間が減っていく。昭和40年になると2人は離婚。12歳だった風吹ジュンと15歳だった兄はミサについていくことに。章の妹によると、章は「麗子(風吹ジュン)が僕を選んでくれなかった」とショックを受けていたという。ミサは富山・高岡市で小さなスナックを開いた。しかし、店は繁盛せず。さらに、開店から半年後、店で火事が発生。閉店を余儀なくされたという。生活の糧を失ったミサ。身近には頼る人もおらず、追い詰められていった。そしてある日、中学生だった風吹ジュンに「もう一緒に暮らせない」と告げた。