植村直己は世界初の五大陸最高峰を制覇したことで有名だが、それまでには数々の困難があった。1960年、明治大学山岳部に入部したが3日後に行われた新人合宿では先輩から怒鳴られながら30キロの荷物を背負い休みなしで雪山を登り自然を楽しむ余裕などなかった。脚を滑らせひっくり返った植村直己に先輩から容赦ない怒号が飛ぶ。「ころころとすぐ転ぶドングリみたいな奴だ」と言われ「ドングリ」という不名誉なあだ名をつけられた植村だが実は根っからの負けず嫌いであった。合宿のあと1年発起して始めたのは1人きりでのトレーニングで毎朝9kmの走り込みをして1年のうち100日以上は登山した。さらに雪深い北アルプスを5日間テントを持たず、雪に掘った穴で休息を取りながら歩き抜いた。集団行動は苦手だが1人きりならどんなことも粘り強くやり遂げるので「あのドングリは転んでもただでは起きない奴だ」といつしか植村は皆から一目置かれるようになった。そんなある日のこと山岳部のリーダー小林正尚に外国の山のことで話しかけられ、まずはヨーロッパの山を制覇して植村の名を世界にとどろかせてやると意気込んでみたが先立つものはお金であった。そこで資金を稼ぐためアメリカへ渡り、カリフォルニアのブドウ農園に転がり込んだ。1日10時間ぶっ通しで働き、大鍋100杯分ものブドウを収獲。それでも日当はわずか6ドルで生活費を差し引いたらほとんど残らない。ところが一緒に働くメキシコ人たちは1日に24ドルも稼いでいた。よくよく観察してみると彼らはブドウの枝を使ってかさ増しをし、実際よりも多く収獲したように見せていた。これを真似て植村は3か月で1000ドルを稼ぎ出した。そろそろヨーロッパへ渡ろうかと考えていたその矢先、突如農園に腰にピストルを下げた男たちが現れ「動くな。パスポートを見せるんだ」と言われ不法移民を取り締まる調査官であった。植村はガタガタ震えながらパスポートを差し出すと「これは観光ビザじゃないか、就労ビザはどうした」と言われ「就労ビザは持っていないのですが…」と答えると「だったらなぜ働いている。不法移民だ」となり植村は留置場に入れられてしまう。このままではお金を没収された上に日本に強制送還になると思い何とか切り抜ける方法はないかと考えた。翌日の調査官の取り調べでは何を聞かれても「I can not speak English(私は英語がわからない)」と繰り返し、しびれを切らした調査官が通訳として呼んできたのは地元に暮らす日系人の男性である。自分の気持ちを日本語で話し、やましいものではないとわかれば強制送還は免れるかもしれないと昨晩必死に考えた作戦であった。植村は通訳を通し、懸命に自分の素性を伝えた。山岳部の仲間にドングリと言われて苦しかったことや見返したい一心で特訓をがんばったことやその中で芽生えた夢のこと。夢については「世界の山に登ることで働いていたのはその資金を貯めること」だと話し、腕を組みずっと聞いていた調査官はおもむろに口を開き「これ以上アメリカで働いてはいけません。ですが日本に送還もしません。すぐにヨーロッパへ行き山へ登りなさい」と話した。植村の一途な思いがチャレンジ精神を尊ぶアメリカ人の心に届いたのである。こうしてヨーロッパに渡った植村はアルプスのモンブランに登頂し、続いてアフリカのキリマンジャロや南米のアコンカグアと3大陸の最高峰を制覇した。
