1993年自民党への政治不信などから誕生した非自民の連立政権。その後継に指名されたのが、新生党を中心とした羽田連立政権。政治改革の継続を掲げていた。当時、羽田連立政権が過半数を維持するうえでなくてはならない存在だったのが社会党。しかし、首相指名直後、新生党の小沢一郎氏らが連立で最大の議席を持つ社会党の影響力を抑えようとしたことから対立が勃発。組閣前にもかかわらず羽田政権は少数与党としての船出を余儀なくされた。その後、社会党などの協力で羽田政権は予算案を何とか成立させたが直後に自民党が内閣不信任決議案を提出。命運を握る社会党との連立復帰のために羽田政権は奔走するが、このときすでに野党、自民党と社会党との間で協議が進んでいた。その結果、主だった政策も実行できないまま在任わずか64日、戦後2番目の短命で羽田政権は総辞職に追い込まれた。そして、自民党などと連立を組んだ社会党から委員長の村山氏が総理に指名された。そして今、少数与党の石破政権、命運を握る国民民主党の動向が注目されている。