現茂木派の平成研究会は、1987年に竹下登氏が田中派から離脱し立ち上げた経世会の流れを汲んだ派閥となる。1992年には小渕恵三氏が会長に就任し、約6年間、派閥を牽引してきた。また、娘の小渕優子氏も、平成研究会も所属している。1989年、小渕氏は、自民党が党議決定した政治改革大網には待つ離脱が明記されていることを理由に、退会を表明していた。また、小渕氏に続き、青木一彦氏も茂木派の退会を表明した。青木氏は、「参院のドン」と呼ばれていた青木幹雄氏の息子だった。茂木派の退会ラッシュについて、政治部の山本デスクは「青木幹雄氏は、生前小渕優子氏を総理大臣にしたいという思いを強く持っていた。退会の表向きの理由は、自民党の幹部が派閥を離脱するべきだという流れだが、参議院というのは元々青木氏の力が強い結束を誇っていたから、小渕氏の離脱に同調して辞めていった」などと話している。