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「小笠原利恵子」 のテレビ露出情報

400人ほどが暮らす岩手・日向地区。東の端には住民たちが手づくりした、大切な場所がある。それが昭和54年にできた野球のグラウンドだった。作ったのは地区の盛り上げ役だった小笠原清二。子どもたちにグラウンドを作ってほしいと頼まれ、清二は連日ボランティアで作業をした。グラウンドの周りには集会所や公園もでき夏には盆踊り、秋にはお祭りと、住民たちの結びつきを育む場所になった。清二の息子の保は父の思いを受け継ぎ建設業者になった。2011年3月11日、午後2時46分、マグニチュード9.0の巨大地震が発生。沿岸部を津波が発生。地震発生から35分、海から50km内陸で仕事をしていた保が祈るような思いで車を走らせていた。妻と娘の安否がわかっていなかった。午後4時、海から2km地点まで戻ってきた保は、道路が水没しているのを目にした。車を捨て、山伝いに歩き始めた。保が目指したのは5日前に開通したばかりの三陸道。妻と娘の無事を確認し三陸道から町を見下ろすと、そこには信じられないほどの瓦礫が押し寄せていた。日向地区には取り残された住民や避難者が逃げ込んでいた。日向地区では大量の瓦礫が道という道を塞いで緊急物資も緊急車両もこれない状況になっていた。保は緊急車両が通れる道を切り開くしかないと考えた。内陸に戻り藤原善生と藤原利一を見つけ自分たちの道を切り開こうと行動を開始した。

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