TVでた蔵トップ>> キーワード

「小豆島」 のテレビ露出情報

阪神・淡路大震災では6434人が犠牲となった。亡くなった人々の名前は慰霊と復興のモニュメントに刻まれているが、震災による死と認められていない被災者の遺族が名前を刻むようになった。田中しげみさん(59)は30歳の時、震災に遭遇し、5日後に父親を喪った。父親は末期がんを患って入院中で、田中さんは被災によるストレスが死期を早めたと考える。シングルマザーとして息子を育て上げた現在、長年抱えてきたモヤモヤを片付ける時と感じていた。
モニュメントの運営を担う堀内正美氏は震災後を生きる遺族たちを分け隔てることなく名前を刻めるようにしたいと尽力してきた。アンケート、電話で事情を聞き取り、遺族が震災の影響があると考えていれば、名前を刻んでいる。廣畑瑞保さん(63)は娘さんを出産後、娘さんはICUに運ばれた。阪神・淡路大震災が発生し、停電で人工呼吸器は一時的に動かなくなった。体調は急激に悪化し、38日後に娘さんはこの世を去った。瑞保さん、旦那さんは死後に初めて娘さんの体を抱きしめたという。震災から9年後、夫婦は娘さんの名前をモニュメントに刻み、確かにこの世に存在していたと証を残すことができた。震災後、慣れない避難所生活、過度のストレスから疲弊して亡くなった人、震災により予定されていた手術ができず、息を引き取った人らの名前もモニュメントに刻まれている。
田中しげみさんは末期がんを患って入院中だった父、猛氏のもとへ息子を連れて行くと、いつも笑顔で迎えてくれたという。震災がなければ、幼稚園の制服姿を見せてあげられたはずと考える。ただ、カルテに初めて目を通すと、病状は刻々と悪化し、田中さんらの前では気丈に振る舞っていたと推測された。阪神・淡路大震災では31万人を超える人々が避難所生活を余儀なくされるなど、多くの人が心身に深手を負った。堀内氏は「震災みたいなことがなければ元気だったはず、プレートをはった途端に皆さんは語りだす」などと語った。
井村姉妹の父、喜一氏は阪神・淡路大震災で妻の道代さんを亡くし、家も仕事も失った。7か月後に自死した。亡くなる2か月前に誕生日を迎えたが、手記には「生きたくもあり、生きたくもをなし」と記していた。喜一氏の故郷は小豆島で、震災後に家族を誘って旅行していた。2013年、喜一氏の名前は慰霊と復興のモニュメントに刻まれていて、姉妹は父の最後を少しずつ受け入れられるようになったという。田中しげみさんは23年12月17日、モニュメントに父の名前を刻み、「一区切りついたかな。たったの一区切りですけど」、「最後、弱みを見せずに頑張ってくれてありがとう。父に恥じないように生きたい」などと語った。今回、新たに9人の名前が加わった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年11月15日放送 13:05 - 13:55 NHK総合
列島ニュース列島ニュースアップ
瀬戸内の島の話題。瀬戸内国際芸術祭では瀬戸内の島々を舞台に国内外のアーティストの作品を展示。3年に一度、春、夏、秋の3シーズンに分けて開催され、100日余の期間中にあわせて100万人前後が訪れる現代アートの祭典。来年4月、6回目となる瀬戸内国際芸術祭が開幕。小豆島では観光振興と地域の課題解決をデジタル技術で実現しようという新たな試みが進んでいる。

2024年11月11日放送 23:56 - 0:55 TBS
月バラナイト海をまるっと遊びつくせ 進め!ヒロミ丸
ヒロミらクルーは途中で出会った漁師に話を聞いて坊勢島を訪れた。坊勢島ではブランド鯖の坊勢鯖を採ることができるという。そこで角田夏実と村重杏奈、みやぞんが坊勢鯖をすくうのに挑戦したが失敗した。そのため坊勢鯖捕獲と朝食探しの2組に別れて行動した。そこで朝食班はパン屋でパンを購入した。坊勢鯖捕獲班も出港から3時間30分でようやく坊勢鯖をゲットすることができた。そこ[…続きを読む]

© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.