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「小野津(鹿児島)」 のテレビ露出情報

椿鬼奴(旧姓・宮崎雅代)のルーツを探る。母方のルーツは喜界島にある。喜界島の郷土史に雅代の7代前にあたる文部仁知についての記述が残されていた。部仁知は喜界島を統治する薩摩藩に任命された地域の最高責任者の一人だった。しかし、明治に入ると喜界島の統治体制も変わる。曽祖父・政常の代では農業と漁業で生計を立てるように。そんな政常のもとに四女として生まれたのが、雅代の祖母・なす。当時、喜界島の暮らしは一層厳しいものに。大きな産業のなかった島で人々は主に半農半漁の生活で恵みを分け合って暮らした。これ以上島で暮らすのは難しいと進藤家の子どもたちも次々と島を出ていった。最終的に残ったのは11歳のなすと25歳のマツだけが島に遺された。なすは小学校卒業後、畑仕事や家事を担い、病気がちだった姉の面倒を見ていた。後になすは大阪へ向かい、家事手伝いなどをして暮らした。親戚からの紹介で、なすは野上元一郎と出会い、結婚。1年後、後に雅代の母となる摂野が生まれた。後に、元一郎は競馬で多額の借金を残して失踪。夫に代わり、なすは親戚中に頭を下げて借金を返済した。東京に居づらくなったなすは失意のまま大阪に移住した。

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