山の手空襲は赤坂や青山など東京の高台と焼け残った街を標的にした空襲であり、約6900tの焼夷弾が使われ約4000人が犠牲になったとされる。明治神宮創建を受けて植えられた201本のケヤキ並木も被害を受けていて188本が消失してしまっているが、今も7本は当時と同じ場所から街を見守っている。並木道の先には1891年創業の山陽堂書店が変わらない姿を見せていて、15歳のときに空襲を経験した泉宏さんは鉄筋鉄骨が使われたことで難を逃れるとともに避難場所として機能していたと振り返った。25日には山の手空襲の追悼碑への献花も行われる。