関西の大学では自己紹介などで学年を伝えるときに、「○年生」ではなく「○回生」という言い方が定着している。その由来を調べると、京都大学が起源だという説に行き当たり、高等教育の歴史が専門の西山伸教授に話を聞いた。西山教授は「○回生」という呼び方が生まれたのは、明治期に京都大学が東京大学と異なる教育方針を打ち出したことが背景にあると説明している。当時、東京帝国大学では国家の中枢を担う官僚などを育てるため、1年ごとに履修科目が決められていたため学年に対する意識が強かった。一方の京都帝国大学は学生の自主性を重んじ、在学中に一定の科目で単位を取得すれば卒業できる科目制というのを採用していた。学年には基本的にこだわらない教育システムを導入したため、「大学に入ってから何年目」という意味で“何回生”という言葉を導入したのではないかと西山さんは言う。日本近現代史が専門の立命館大学・山崎有恒教授に話を聞きくと、何回生という呼び方が定着したのは、立命館大学が果たした役割も大きいのではないかということだった。立命館は明治33年に京都法政学校としてスタートした。多くの若者が働きながら高等教育を受けられるよう夜間学校として設立されたという特徴がある。ただ設立当初は自前で教授を集められなかった。講義をしていたのは京都大学から派遣された教授たちだった。試験もハイレベルで大学生のうち卒業できたのは2割に満たなかった。1年生を2回も3回も繰り返す学生が出てきたため、徐々に学年への意識が薄まっていったのではないか、また留年する学生をどう把握するかと考えたときに何回生というシステムが非常にフィットしたと考えられると山崎さんは話している。