オウム真理教の捜査が入った当時に山梨県中央児童相談所の課長であった保坂はオウム真理教と対峙した一人である。大勢の信者が住んでいた第10サティアンでは一家で出家してきた信者たちもいた。警察は劣悪な環境にあった信者の子どもたちの保護を決断した。1995年4月14日、4歳から14歳の子ども53人を児童相談所に移送した。当時の信者の子どもたちの日記には児童相談所の職員や警察は敵であると認識し不信感を記していた。3週間後のこどもの日に職員が開いた模擬店で子どもたちに変化が訪れ、子どもたちの敵対心は薄れ笑顔を取り戻していった。その後、一人の女の子が信者の親と面会し、最初こそ自分だけが親と会うことを嫌がっていたが、対面を果たしたときには涙していたなどと伝えた。保護された子どもたちはそれぞれ順次県外の保護施設などに移送された。そんな子どもたちと90日の日々を過ごした保坂は、子どもたちはオウムの犯罪には全く加担しておらず、閉じ込められた被害者なのだと語った。