2025年4月7日放送 1:28 - 2:28 TBS

ドキュメンタリー「解放区」
証言 〜オウムと山梨30年目の真相〜

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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

証言 ~オウムと山梨 30年目の真相~
証言 ~オウムと山梨 30年目の真相~

オウム真理教は上九一色村にて化学兵器・サリンを製造していた。江川はオウム真理教は正規の手法選挙に出て世の中を変えるだけでは間に合わないとし、教祖の指示であれば人をも殺すことが善になるという教えをしていたなどと分析した。竹内は当時、サリンが作られていたサティアンで防毒マスクを身に着けた信者たちの姿を見て異様さを感じていたなどと伝えた。1994年4月30日、防毒マスク姿の信者を警察も認識していたが、その2か月後に長野・松本市にて松本サリン事件が発生した。この事件の1か月後に撮影された写真の第7サティアンでは室内から煙が上がり、周囲の植物の葉が変色していた。そして1995年3月20日に都内にて地下鉄サリン事件が発生し、日本犯罪史上最悪の無差別テロ事件となった。竹内は松本サリン事件の時点で止められていれば地下鉄サリン事件はなかったということが慚愧に堪えないのだと明かした。

キーワード
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オウム真理教の捜査が入った当時に山梨県中央児童相談所の課長であった保坂はオウム真理教と対峙した一人である。大勢の信者が住んでいた第10サティアンでは一家で出家してきた信者たちもいた。警察は劣悪な環境にあった信者の子どもたちの保護を決断した。1995年4月14日、4歳から14歳の子ども53人を児童相談所に移送した。当時の信者の子どもたちの日記には児童相談所の職員や警察は敵であると認識し不信感を記していた。3週間後のこどもの日に職員が開いた模擬店で子どもたちに変化が訪れ、子どもたちの敵対心は薄れ笑顔を取り戻していった。その後、一人の女の子が信者の親と面会し、最初こそ自分だけが親と会うことを嫌がっていたが、対面を果たしたときには涙していたなどと伝えた。保護された子どもたちはそれぞれ順次県外の保護施設などに移送された。そんな子どもたちと90日の日々を過ごした保坂は、子どもたちはオウムの犯罪には全く加担しておらず、閉じ込められた被害者なのだと語った。

キーワード
オウム真理教山梨県中央児童相談所矢崎司朗
(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

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