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オープニング映像。
馬毛島ではアメリカ軍の訓練移転を伴う自衛隊基地の建設が進んでいる。漁師たちの大切な漁場は補償と引き換えに埋め立てられることになった。馬毛島で古くからトコブシ(ナガラメ)漁が行われてきたが、主要な漁場が基地建設で消滅し、水揚げが大幅に落ち込んでいるという。
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鹿児島県の南東40キロにある種子島は27,000人が暮らし、さとうきび・安納芋の栽培が盛ん。点在する漁村では古くから人々が漁を生業にし、有数の漁場として知られる馬毛島は宝の島と呼ばれた。馬毛島は戦後に開拓団が入植し、ピーク時には500人が暮らしたが、2023年1月にアメリカ軍の訓練移転を伴う自衛隊基地の建設が始まった。漁業補償と引き換えの漁業権一部放棄と5年間の漁業制限に種子島漁業協同組合は3分の2以上の組合員が同意した。種子島・西之表市にある上能野集落の能野勇さん(68)は30年以上にわたり馬毛島で漁をしてきた。6月になるとトコブシ漁が解禁される。期間は8月までの2か月間。トコブシの主要な漁場は馬毛島の東側、特に横瀬と呼ばれる場所の周辺。基地建設に伴い、種子島漁協は横瀬周辺の漁業権を放棄。さらに広い海域で漁業制限がされた。能野さんが制限区域の近くで潜ろうとすると、警戒船が現れ、制限区域に近すぎると移動を促された。島の南側へ移動、石のすき間に潜んでいるトコブシを長年の勘で見つけていった。4時間休みなく潜り続けたが、収穫できたのは例年の半分だった。朝になると西之表港には基地建設の作業員を送迎する漁船が列をなす。取りまとめる漁協への手数料や燃料費などを差し引いても一日の手取りは6万円。漁獲量が減少する中、海上タクシーを請け負う漁師が増えた。
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種子島開発総合センター鉄砲館には種子島を代表するトビウオ漁を再現したジオラマがある。背景には緑豊かな馬毛島が描かれている。産卵のため馬毛島海域にくるトビウオを狙い、5~6月に集落ごとに共同で漁をしていたという。江戸中期に漁村は「浦」と呼ばれ、種子島には18の浦があった。いくつかの浦が領主から厳しい海の労働を課された代わりに馬毛島の漁業権を与えられ、それを引き継いだ漁村が今も漁を続けている。18歳から漁をしている塰泊集落の磯川次夫(90)さんが馬毛島の漁について教えてくれた。昔の漁師は馬毛島に漁業基地を作り、季節移住して漁をしていた。生活がかかったトビウオ漁は漁場の争奪戦。夜中に起きて漁場を探す。岳之腰の頂上につく灯りが操業の合図だった。最盛期には何万ものトビウオが水揚げされ、海岸いっぱいに干された。組合に加入できるのは一世帯に一人だけ。馬毛島で漁をする権利は厳しく管理されていたという。
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種子島の塰泊集落は古くから馬毛島で漁をしてきた。浜田純男さん(69)はトコブシやアサヒガニなど馬毛島の漁で暮らしてきた。就職で一度は島を離れ、26歳で戻って漁を始めたが、国家石油備蓄基地の補償金目当てと言われたという。1975年に民間企業・馬毛島開発が馬毛島の大半を買収。石油タンクなど様々な計画が立ち上がっては消えた。2000年に入ると砕石事業による大規模な掘削や滑走路にするための造成が行われ、漁業基地は次々に買収された。共有地の地権者3分の2が売買契約、代表名義人の小組合役員が移転登記した。漁業基地にはバリケードが設置され、開発業者が占拠した。2001年に反対する地権者22人が土地を共同で利用する権利「入会権」の確認を求めて開発業者を提訴した。その中の1人・西義春さんが譲れない思いを語ってくれた。漁業者が地元の沿岸(地先水面)を管理し、貝類や海藻類を利用する慣習上の権利を漁師たちは「地先権」と呼んでいる。馬毛島に漁業基地を築いたのはこの権利を得るためだった。小組合の役員で漁業基地の買収に同意した磯川次夫さん(90)は、1975年に漁労小屋は使われなくなっていたと語った。1970年代後半になるとトビウオの水揚げ量が減り、共同での漁は衰退。季節移住もなくなっていた。入会権確認訴訟は2014年に原告が勝訴。漁業基地の買収に反対した漁師の多くは基地建設にも反対した。国は開発業者から160億で馬毛島を買収、共有地の立ち入りは制限されている。
馬毛島で基地建設が始まって1年半が経過した2024年7月になると、山や森は消え、島の姿は大きく変わってしまった。変わり果てた島を見たトコブシ漁師・能野勇さん(69)は「言葉が出ない。自分の責任、賛成したから」と語った。海に潜ると、海底には泥が沈殿していた。石にすき間がなくなり、トコブシが付かなくなってしまった。これだけ泥があると、トコブシの餌になる藻が生えず、水揚げ量は8割落ちたという。防衛省が支払った馬毛島の漁業補償は22億円。種子島漁協は全組合員に配分した。水揚げが多いほど、分配額が高くなり、上限は3,000万円。馬毛島で主に漁を行う地区は優先補償額が上乗せされたが、能野さんが納得いく額ではなかったという。日本の漁業は古くからの慣行でルールを決めてきた。江戸時代に幕府が示した磯は地付、沖は入会は漁業権の基礎といわれる。県から漁協に免許が与えられる共同漁業権は関係地区に住む組合員が行使する。第一種共同漁業権は貝類・海藻類など海底に定着する水産生物が対象でトコブシ漁もこれに当たる。取材班は県の水産保管課の資料を調べた。1963年の西之表市には4つの漁協があり、それぞれの地先に第一種共同漁業権を設定。馬毛島は漁協基地を築いていた西之表地区と住吉地区に権利が与えられた。合併を繰り返して種子島漁協が誕生。第一種共同漁業権は西之表市全体に広がり、トコブシ漁師たちが主張する地先権とは大きく乖離してしまったという。トコブシ漁師たちは馬毛島で漁をしていない地区の組合員も補償金を受け取ったのが納得いかない様子だった。
馬毛島で基地建設が進み、去年の西之表市の水揚げ量は統計開始以降で最低となった。海洋環境の変化や漁師の高齢化に加え、基地建設による漁業制限が追い打ちとなった。海上タクシーや監視船の仕事をするために漁を離れる動きも広がっている。鮮魚店を営む濱上英二さん(76)は「少ないね」と嘆いた。買い付けに来る仲間からも現状を嘆く声が聞かれた。水揚げの減少でトコブシは1kg1万円を超え、店の近くにある加工場は閉鎖を余儀なくされた。台風が来て心配になったトコブシ漁師の能野勇さんが仲間と一緒に島の西へ向かうと、海が濁っていた。1か月前の映像と比べると差は歴然だった。防衛省は10年に1度の降雨でも対応できると自治体に説明している。漁師たちの心を置き去りにしたまま、故郷の島は姿を変えていく。
エンディング映像。